昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章:1970~73年 石ころと流れ星  83

2012年06月26日 | 日記

屋台の親父に紹介され小杉さんの名前を出すと、親父は「なんや、今日は小杉ちゃん人気やなあ」と言って笑った。

佐竹の横顔も笑っている。二人とも小杉さんとは旧知の仲のようだ。一体いつから、どんな関係なのか。

「誰か他にも小杉さん尋ねて来はったんですか?」

と桑原君が身を乗り出すと、親父は佐竹に目で確認した上で、話し始めた。それは桑原君にとって、小杉さんの裸を覗き見るような話だった。

小杉さんが最初にやってきたのはほぼ3年前。学生運動が激しい盛り上がりを見せていた頃だった。滞在したのは一か月ほど。最後の数日は、毎晩親父の元へやって来て話し込んでいた。

「この親父、60年安保の闘士やったんで。こう見えても」

佐竹が言うと、親父は頭に巻いていた手拭いを取り、その見事な禿頭をするりと拭ってみせた。

「ヘルメット禿げや~~。被りっぱなしはあかんで。たまにはヘルメット脱いで世の中見んと、俺みたいに禿げてまうで~~」

親父は同じことを初対面の小杉さんに言った。小杉さんを活動家と見抜いたからだった。それで一気に心を許した小杉さんは、悩みを語り始めた。親父に言わせるとそれは、“悩みというより、戸惑い”だった。

小杉さんの心は揺らいでいた。彼のビジョンと革命論に同調する仲間を組織化して間もなく、夏美さんとの付き合いが本格化した頃だった。

小杉さんが親父さんの経験談を聞いては繰り出す質問は、「大きく分けると、たった二つやった」という。

一つは、組織は力になるのか、ということであり、もう一つは、一人の人を幸せにすることと社会全体の幸せのために貢献することは折り合うのか、ということだった。小杉さんは恋をしていたのだった。そして一方では、次第に微妙なずれがでてきている仲間をまとめあぐね始めていたのだった。

「ぶつぶつぶつぶつ原点、原点言うて、飲んでたなあ。真面目な男やなあ思うたで、わし。……しかし、そういう奴が悲しいことになるもんなんや。それがいつも心配でなあ。一生懸命なり過ぎていいことあれへんで。髪抜けてまうで。言うたったんやけどなあ」

“挫折の覚悟がなくて、見えない未来に夢が描けるか!”という、桑原君も何度も耳にした口癖をごもごもと繰り返していたらしい。

一か月後、桑原君同様、自分の居場所を見つけることができずに帰って行った小杉さんだったが、親父に言わせると「迷いが出てきたら来ることにしてるんです、言うて、ちょくちょく顔見せてた」ようだった。そして、親父さんと佐竹が小杉さんを最後に見たのが、桑原君がドヤ街にやって来る2~3週間前だった。

桑原君は、その時の動機は三枝との意見の相違に違いないと思った。

「まあ君も、これを何かの縁やと思ってやね、困った時は来たらええわ。おっちゃん、10年余計に経験積んでるさかい」

親父にそう言われ、ほろ酔いの足でその夜は帰った。なんとかしばらくはやっていけそうだ、と桑原君は思った。

                                   明後日(6月28日)、つづきを更新します。

                                                               つづきをお楽しみに~~。    Kakky(柿本)

第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/2ea266e04b4c9246727b796390e94b1f

第二章“とっちゃんの宵山” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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第三章“石ころと流れ星” を最初から読んでみたい方は、コチラへ。

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