達男と公平の決裂
初めての東京だった。「人の多さと歩くスピードの速さに驚くわよ、きっと」と、優子に玄関で見送られ、空港までクルマで送ってくれた聡美からは、「しっかり観察してきてね」と地図、住所、電話番号等々を受け取り、渋谷に着いた。
「おう!よく来たなあ!」
手を上げ近付いてくる達男を認めるまでは、全身が目と耳になったような気がしていた。別の国に足を踏み入れたような気分だった。
「驚いたか。東京初めてだろ?」
達男が肩を組んでくる。中学のマラソン大会で、先にゴールしていた達男が近付いてきた時を思い出す。
「すごい人だねえ」
そう応えて、預かっていた手土産の袋を差し出す。町で一番の海産物店の手提げ袋が、惨めなほどみすぼらしく見える。
「おう!ひょっとして海苔か?……若布か?……うれしいなあ、これは」
立ち止まり、中身を確認する達男の大きな声が、空々しく聞こえる。顔を巡らせてみるが、ハチ公前にたむろする多くの人たちに、達男の声を気にする者は一人もいない。交差点の時計は午後4時半を差している。
「これから人が増えるから、とりあえず、早く事務所に行くか」
「え?!もっと増えるの?人が……」
やっと発した声がかすれている。
「そうだよ。退社時間だからな、もうちょっとで」
渋谷に到着するまでの間に目にした多くのビルから、一気に人が吐き出されてくる光景が浮かぶ。テレビのニュース映像で見た“夜の東京”がこれから始まるということか。
「タクシーに乗るぞ」
達男がさっさとビルの脇道を先へ行く。手渡された手土産の袋が、かさかさと心許ない音を立てる。義郎は達男の背中を見失うまいと、ただただ後を懸命に追いかける。
「義郎だぞ~~」
タクシーで15分程度の距離だった。渋谷駅からそう遠くないはずなのに、田舎の商店街を思わせる一角、真新しいビルの2階に、達男と公平の事務所はあった。玄関を開けると、初夏の夕方の風が通り抜けた。人と人の距離が近すぎ、それだけで息苦しかった義郎は、大きく息をついた。
「おう!来たか。……よく会えたなあ。心配してたんだぞ~~」
中の階段の途中から、公平の笑顔が覗く。これが長沼が言っていた“スキップフロア”なのだろう。長沼は「スキップフロアの住宅か、場合によっては事務所を作ってみたい」とよく言っていたが、田舎では実現に至ったことがなかった。目の当たりにしてみると、長沼の思い入れも理解できるような気がする。
「いいところだねえ」
素直な感想を述べると、達男が振り向いた。
「いいだろう。いくらだと思う?」
「買ったの?借りてるんじゃないの?」
「不動産は所有する時代なんだよ。借りてんじゃ、何も残らないからさ」
重厚な木製のテーブルに着き、向かいの席を勧められる。
「すごいねえ。高かったんじゃない?」
見回すと、内装はシンプルで壁紙もなく、コンクリート打ちっぱなしだ。ここでも光代のセンスが活かされているのか、所々に小さなイラスト入りの額縁が専用のミニライトに照らし出されている。
「お疲れ様。よくいらっしゃいましたねえ。」
階段からもう一人の声が聞こえてくる。服部だ。公平の後ろから覆いかぶさるように笑顔を見せている。公平に少し感じていた違和感は、彼のスーツ姿にあったことに気付く。服部もスーツだ。
4人揃ったところで、再度手土産を渡す。服部が出した珈琲に手を伸ばすと、達男が口を開いた。
「聡美に頼まれたのか?」
眼光は鋭く、声には苛立ちを感じる。
「そういう訳じゃ……」
「お前が自分の判断で来る理由がないだろう。何を頼まれたんだ?」
「いや、本当に頼まれた訳じゃ……」
「じゃあ、なんだ?お前に関係あることはないぞ、東京には。何が……」
いきなりの剣幕が、聡美が達男のやりたいことの障壁になっていることを示している。義郎は、聡美の存在の大きさを改めて痛感する。義郎だったら、障壁になるどころか、あっと言う間に押し流されていることだろう。今担当している現場、大川堤防の補強工事が頭に浮かぶ。
「達男というより、公平に会いに来たのかな?同じ会社の人間だから……」
達男の矛先をかわし、倉田興業の取締役として会話することにする。
「この前は話す機会なしだったしなあ」
公平は穏やかだ。隣の服部は黙ったまま、様子を窺っている。
「でも、あれから何か起きた訳じゃないだろう。それとも……」
「だから、聡美に何か言われたんだよ。なあ、義郎。そうだろ?」
「いや、そういう訳じゃ……」
達男が小さく舌打ちをする。そして小さく、「聡美、邪魔してくれるなあ」呻いた。
「いい機会かもしれませんから、きちんと決めませんか?撤退か前進か」
服部がこの機を捉えようと、身を乗り出す。隣の公平も、大きく頷く。
「聡美のことは置いておいて、今日の結果を検討しようぜ」
公平が達男に言うが早いか、服部は階段を駆け上がる。
「義郎、お前にはわかりにくい話だが、オブザーバーとして聞いていくか?」
公平に言われ、指差され、義郎は席を立ち、開け放ってある窓辺の椅子に移動する。小さなベランダには鉢植えが一個、ぽつねんとしている。朝顔のようにも見える。しかし、まさか、幸助の夏休みの宿題と同じものが、と思っていると、書類の束を手にした服部が窓を締めた。
「声が、ねえ」と言い、席に戻り際、耳元で「朝顔です」と告げた。思わず微笑みながらテーブルの方に目を向けると、向かいの服部が拡げた書類に、達男と公平が身を乗り出していた。
直後に、「話が違うじゃねえか~~!」と、達男が叫ぶ。
「いや、こういう話でしたよ」
「こんなもんだよ」
服部と公平が宥める。が、達男の憤りは募っていく。
「最初からこの条件だったら、話は違ってたよ!だって!……簿価は、俺が見た時の数字は……」
一旦荒らげた声を急に落とし、公平は胸のポケットのボールペンを取出し、中腰のまま何やら書類に書き込んでいる。
オブザーバーと決めながら、あまり義郎の耳に入れたくないのか、それからは、額を寄せ合った3人の話ははっきりとは聞き取れない。
断片的に聞こえてきたのは、 “競合”“吊り上げ”“倉庫跡”“仕手戦”“銀行”“売却”
“一棟”といった言葉だった。義郎には、激しく争っていること、銀行が絡んでいること、マンションかオフィスビルに関連するであろうこと、などがぼんやりとわかるだけだった。
ただいずれにしろ、東京に初めて出てきた義郎には、3人に分があるようには思えなかった。
相手が大き過ぎる。多過ぎる。闘う相手の正体がわからなさ過ぎる。まるで、ハチ公前の達男と自分のようだと思った。そして、“自分の目で見て来よう”と決めた目的は既に達成されたような気がした。
突然小さく遠く感じ始めた達男と公平と服部を見つめていると、もの悲しくさえなってくる。両手で持つ手土産の軽さを感じながら、義郎は首を垂れる。全身から緊張が抜け落ちていく。
「好きにしろ!俺は降りる!自分で好きなようにやればいいだろ!」
公平の怒鳴り声に我に返る。少し居眠りしていたようだ。部屋には明かりが灯っている。
「義郎!行くぞ!」
顔を上げると、公平の真っ赤な顔があった。向こうには腕組みをした服部と、そっぽを向く達男の後頭部が見える。二人は決裂したんだ、とわかった。
「行くぞ!義郎」
もう一度言われ、腕を持ち上げられる。引き摺られるまま、どこに連れて行かれるかもわからないまま、義郎は公平とマンションを後にした。
次回は、10月23日(水)予定 柿本洋一
*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7
*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981
*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795
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