昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

昭和少年漂流記:第五章“パワーストーン” ……34

2014年09月23日 | 日記

第34回

 

安達の妹千鶴子と麻布署に安達の捜索願を提出して、1ヶ月が経っていた。

千鶴子はすべてに手際がよかった。捜索願に必要なものは予め備えられており、捜索願、失踪届、失踪人認定の手順などについても、警官からの説明を必要としないほどだった。

そして、捜索願が受理されるとすぐ、外へ向かいながら「兄貴のマンション、解約しました」と久美子に告げた。驚いたが、止むを得ない事だと思った。事務所と自宅マンション双方の家賃負担を続けることはできない。

しかし、「久美子さん、何か思い出にしたいものでもあれば、持って行っていただいていいですよ。引越し業者に頼んで大体片付けたんですけど、私物がダンボール2個ありますから」と言われた時は、さすがに戸惑った。

「いえ、それはまだ……」

久美子が口ごもると、千鶴子は警察署の玄関先で立ち止まった。

「母親と二人暮らしなんで、兄貴のものを全部預かるゆとりはないんですよ。2LDKですから。12月分まで家賃が払ってあったのは助かりましたけどね」

麻布署に向かって歩き始めた時から険しくなっていた表情が、少し緩む。大切な使命をやり遂げた安堵感のようにも見える。

「嫌なもんですよね、でも……」

ずっと声もなく付き従っていた久美子にやっと笑顔を向けるが、ぎごちない。久美子は交錯する様々な想いが激しい寂寥感に覆われ、ただただ足が浮つくばかり。身体の芯が溶け落ちてしまったかのようだ。

「今日中に帰らなきゃいけないんで」

俯く久美子に声を掛け、「あ!」と顔を上げると、「元気出しましょうね。これからですよ」と、千鶴子はタクシーに乗る。その後姿が青山方面へと曲がっていくまで目で追い、久美子はしゃがみこむ。頭と心がとりとめもなく漂っている。安達は帰ってくるという確信も、自分が見つけるという意志も、運び去られたかのようだった。

しかし数分後、ポケットに忍ばせていた安達から手渡されたパワーストーンを握り締めると、また安達への想いが蘇ってきた。

西麻布の交差点へと坂を下る。交差点に立ち、安達のオフィスの方に目をやる。首都高が邪魔をしてオフィスのあるビルは、3階までしか見えない。しかし、久美子の目には、テナントビルに挟まれた華奢なビルと、その7階から六本木方面へと開く明るい窓が見えたような気がした。

「あそこは、私が守る!」

自らを鼓舞するように力強く呟き、久美子は自宅へと急いだ。

まず、千鶴子に手紙を書いた。

安達の自宅マンションを手早く解約した事情は察することができた。体力の衰えを訴えることが多くなってきた母親、二人合わせても多くはない収入……。彼女が抱えている将来への不安の前では、安達の所在がはっきりしないという事実は、相当に厄介で面倒なことに過ぎないことであろうことも理解できた。

千鶴子の捜索願提出の際見せた手際よさに、父親の数度の家出に翻弄された経験も垣間見えた。

だから、安達のオフィスの解約やビジネスの整理、特に売掛残と買掛残の処理、借入金の返済等、財務処理を行うことを申し出ることがお節介になるとは考えられなかった。財務処理の結果、オフィスの賃貸契約の解約からオフィス機器や資料の引越し・保管費用まで捻出できるようであればそうすべきだし、費用が足りないと判断した場合は、また善後策を考えればいい。

いずれにしろ、処理することが前提ではなく、安達が帰ってきた時、すぐに元の暮らしに戻れるようにしておくことが前提であり、その前提を守るための負荷が、千鶴子や久美子に過分に覆いかぶさってこないようにすることが肝心だ。

久美子は、自分が財務の仕事に携わっていることを紹介しつつ、そういった意味のことをしたため、通帳や各種書類に関してはエビデンスを残しておくこと、一つひとつの処理に関しては必ず千鶴子の了解を得ることを約束して、手紙を終えた。

投函して4日で返事が届いた。久美子からの申し入れをただただ感謝する言葉のみで、母親からの謝意も書き添えられていた。その大きくのびやかな文字を見て、久美子は安達のおおらかで屈託のない笑顔を思い出した。あの笑顔は母親似に違いない。

しかし、一つだけ意外だったのは、“幸い赤字でもなさそうですし、借金もあるようには思えませんから安心はしています。現金はあまりないようですが。”と書かれていたことだった。ひょっとすると、千鶴子は自宅のみならずオフィスも解約してしまおうとやってきていたのかもしれない。安達の机の中の経理書類や通帳を見ていたのかもしれない。そして、父親や母親がやっていた商売を手伝った経験で得た知識と勘から、手紙にあるような判断をしていたのかもしれない。

しかし、財務処理の方法はわからず、自分の勘に十分な自信も持てないため、さあどうしたものかと思案に暮れていた。そこに、久美子がやってきた。これはまさに、渡りに船だ。というようなことだったのかもしれない。

「一週間おきに、もう3回。全部日帰りですけどね」と、千鶴子は言っていた。一度目は、下調べと必要な手配。二度目は、自宅マンションの片付けと荷物の引越し作業。三度目は、自宅マンションの後片付けと掃除。それとオフィスの状況確認。といった段取りだったとも思える。そして、さらに2~3回上京してオフィスの片付け等々を行い、そこに至っても安達から何の音沙汰もなければ、捜索願を出そうとしていたのかもしれない。

久美子の出現は、千鶴子がそれらのスケジュールを縮め、決断を促す力になったとも考えられる。

麻布署に向かう時の千鶴子の険しい表情は、彼女と母親の日常を襲った理不尽と慌しさへの苛立ちからであろうし、タクシーに乗る時の晴れやかさは、そこからの小さな開放だったのだろう。

久美子は、家族の突然の失踪がもたらす波紋の大きさを、改めて千鶴子からの手紙に見たような気がした。そして、自分の中に居座り続けている寂寥感が少しだけほだされていった。

しかし次の瞬間、寂寥感を潜り抜けるように、安達の真実の一端が飛び込んできたように感じた。それは、衝撃を伴うものだった。

                              *次回は9月26日(金)予定    柿本洋一                           

*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795

*第四勝:ざばぁ~~ん http://blog.goo.ne.jp/admin/editentryeid=959c79d3a94031f2e4d755a4e254d647

 


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