昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

昭和少年漂流記:第五章“パワーストーン” ……35

2014年09月27日 | 日記

 

第35回

 もはや帰ることはない、という安達の強い意志を、久美子は感じ取った気がしたのだ。安達が一方通行の旅を選んだ理由と動機に思い当たる節はない。しかし、安達にとって大切だったのは行き先ではなく、仕事から抜け出し、事務所を離れ、ただただ漂流することだったのではないだろうか。そして、それを押し留める力が自分にはなかった、ということだ。

今になって思えば、用意周到だった。事務所はきれいに片付けられており、伝票類も分類・整理されていた。財務処理も、千鶴子が引き出しを覗いて安心したように、ほとんど手のかからない状態になっていることだろう。自宅にしたところで、おそらくきちんと片付けられていたに違いない。

自宅を片付けて事務所を訪れた千鶴子は、だからこそ、久美子と出会って間もなく、捜索願を出すことを決断するに至ったのだろう。安達家の過去に、家族間の確執があったことは千鶴子からの話に窺えたが、だからといって仙台から上京する新幹線車中で既に心が決まっていたとは考えにくい。

千鶴子のことを“ちいちゃん”と呼び、“ちいちゃん”のこととなると表情がほころび、言葉の端々に愛おしさが滲み出る安達を、何度も久美子は目にしたことがある。千鶴子が安達の自宅とオフィスの鍵を持っていたことが、二人の関係の確かさと深さを表してもいる。

それは久美子に対しては示されることのなかった種類のものだ。寂しいとは思うが、そんな関係にある千鶴子に名前が知らされていたこと、しかも少なくとも、とても近くて親しい者として意識されていたことだけは確かだ。それで十分だ。十分に、安達を自分の大切な人として待ち続け、探し続ける権利があるはずだ。

「もういいことにしよう!」

久美子は、そう言葉に出して、上がり框に下ろしていた腰を上げる。漂流することに踏み切った動機も理由も、もう考えないことにする。とにかく探すことだ、と改めて自分に言い聞かせる。すると、千鶴子に出会うまでの2~3週間は中だるみ状態だったことに気付かされた。

高山のオフィスを訪ねた時は、途方に暮れ、藁にもすがる思いだった。しかし、高山とその仲間に安達の行方不明を知らせることで、彼を探すという肝心なことに関しても下駄を預けた気分になってはいなかったか。自分の安達への想いと、彼を探そうという使命感に近かった感情さえ、共有してもらった安心感に消え入りそうになってはいなかったか。

「いかんぞ、いかんぞ!安心してる場合じゃないぞ!」

頭を二度叩き、リビングに急いだ。窓に向くデスクの一番上の引き出しを開ける。安達に関するモノたちが詰まった引き出しだ。安達が失踪するまでは、安達との思い出の品だけが入っていた。一緒に行った店のブックマッチ、コースター、灰皿、安達のデスクからこっそり持ち帰ったステッドラーのシャープペンシルと消しゴム、安達が久美子の部屋に置き忘れたラッキーストライクとジッポ、そして、「この中に入れておけば?」と渡された、パワーストーン保管用のガチャポンの空ケース。一つひとつに微笑ましい思い出があるが、それらも今は、安達の受発注書類や経理書類やアドレス帳のコピーの下に埋まっている。一番上に無造作に転がっているのは、安達の通帳印と会社印。まるで、二人の暮らしや思い出が会社という存在に押し潰されたかのようだ。

印鑑を握り、コピーの束を持ち上げる。ジッポを手にして、火を点ける。

「この音、好きなんだよね。この音が聞きたくてタバコ吸ってんじゃないかと思うことがあるくらいだよ」

火を点けては蓋を閉じ、を繰り返し、咥えタバコのまま笑った顔を思い出す。あの笑顔の裏に、今をすべて置き去りにして漂流することを求める何かが蠢いていたとは、とても思えない。どうしても、一旦は頭から消し去ることにした“なぜ?”が頭をもたげる。過去よりも、経緯よりも、“今”と“これから”に目を向け、そこに意識と行動をフォーカスいくべきだというのに。

「“今”を“過去”に押しやってしまう力は、誰にもあると思うんだよ。置く深くにあるその力を発揮しなくちゃいけない時ってあるんだよね」

お父さんとの思い出や独立したきっかけを語る時、安達が口にしていた台詞だ。

「“未来”を信じろってこと?」

「逆だね。“今”を“過去”に追いやった隙間に滑り込んでくるのが“未来”じゃないの?」

「“今”よりもきっとよくなるって約束もされていないのに、“今”を捨てられる?それ、私できないなあ。それができるくらいだったら……」

「でも結局、“今”を“過去”にしてしまったじゃない?その隙間があったから、僕を受け容れられたんじゃない?」

「それは、そうかな?で、よくなったんだ!私の未来の見通しが」

「また~~~。約束を求めてる~~」

モンスーンカフェから腕を組み、初めて久美子の部屋へやってくる道すがら、そんな話をしたのを思い出す。遠慮がちに部屋に上がり、安達はリビングのソファではなく床に座った。「これしかないけど」と久美子が赤ワインとグラスを出してくると、「昔、先輩が言ってたけど、赤ワインは“閉じ込められた情熱”なんだって。これ、いつ閉じ込めたのかな?開けちゃっていいの?」と言った。「いいわよ。飲み切っちゃお!」と栓を開けた。コルクの抜ける音が爽やかに響いた。中腰で安達のグラスを満たしていると、「飲み切れる?」と久美子を見上げる悪戯っ子の目と目がぶつかった。ドキドキした。

一つのグラスで交互に飲み、半分まで空けた。ずっと無言だった。「残りは、これからのために取っておこうか」と安達が言った瞬間、抱きついた。

安達は終始ぎごちなかったが、久美子は深い安心感に満たされていった。かつては若く激しかった情熱も、赤ワインのように穏やかに深く熟成されたような気がした。

気付くと、手の中のジッポが熱くなっている。蓋を閉じ、元の位置に収める。もう一方の手の中の印鑑2つも引き出しに入れ、パタリと閉める。安達に事務所の家賃をしばらく支払い続けることにしようと思う。

管理費も含めて月額40万円。自分だけで負担するには重過ぎる。安達の通帳の残高が許す限り、安達に負担してもらおうと決める。さて、いつまで借りていられるのか。

パソコンを開き、作っておいたエクセルの書類を開く。安達の会社と個人の入・出金管理シートをチェックする。なんとか春まで、と思うが、残っている現金だけでは覚束ない。安達がカードで引き出す生活費を宿泊費込みで月額50万円と見込み、その半分は自分が負担しようとしてきたが、それでも年明けには苦しくなってくることは間違いない。

安達のオフィスで見た未収金の集計表と未払い金の一覧の詳細を把握し、入・出金管理シートに書き加え、しっかりとした予定表にしておかなくてはならない。

まずは、安達の通帳の記帳をし、それから事務所で伝票類を徹底的に洗い直そう。そう決めると、突然疲労感が襲ってきた。明日からは、勤め先の決算処理が始まる。ハードな日々になることだろう。体力を温存しておかなくてはならない。

 

瞬く間に2週間が経った。連日、決算処理作業は深夜にまで及んだ。競争が激化する航空業界の中にあって、久美子の勤めるエアラインは、北欧というデスティネーションの魅力と路線の独自性で健闘しているとは言える状況だったが、経費の圧縮、人員の削減等、経営の合理化の勢いは増していた。

安達のことや安達のオフィスのことが気に掛かってはいたが、うかつに有給休暇の申請をすると、退職勧告を受ける危険性もなくはない。日本人スタッフが減少していく中、40代半ばの久美子は、慎重に行動せざるを得ない環境。決められたスケジュール内に与えられた役割を果たしきるためには、土・日も出勤せざるをえなかった。

やっと休むことができた12月も半ばを過ぎた土曜日、お昼過ぎに目覚めた久美子が最初にしたことは、安達の通帳の記帳だった。

約3週間ぶりの通帳の数字を目にして、久美子は呆然とした。そこに、安達の別れのサインを見たからだった。

                              *次回は9月30日(火)予定    柿本洋一                           

*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981

*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795

*第四勝:ざばぁ~~ん http://blog.goo.ne.jp/admin/editentryeid=959c79d3a94031f2e4d755a4e254d647

 


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