★落葉踏み階踏みてわが家の燈 正子
○今日の俳句
冬夕焼一直線に街を射す/川名ますみ
寒々とした冬の街を夕焼けが染める。街をすべて染める「一直線」の夕焼けが力強い。(高橋正子)
○銀杏黄葉(いちょうもみじ)
[銀杏黄葉/横浜日吉本町] [銀杏黄葉/東海道53次藤沢宿・遊行寺大銀杏]
★赤を掃き黄を掃き桜もみぢ掃く/後藤比奈夫
★黄葉は今年最後の祭りかな/kudou
★空青し銀杏黄葉を輝かす/高橋信之
対象とする植物を全体として眺めたときに、その葉の色が大部分紅(黄)色系統の色に変わり、緑色系統の色がほとんど認められなくなった最初の日を、その植物の紅(黄)葉日とする。
カエデの紅葉やイチョウの黄葉は、秋になって気温がある値を下回ると色づきはじめ、一定期間ののち全体が紅(黄)葉する。したがって、気温が高ければ色づきが遅れ、低ければ早くなる。
イチョウは中国が原産地といわれる落葉高木で、社寺の境内や街路に多く植えられ、食用のぎんなんが実ることからもよく知られた植物である。雌雄異株で春に新葉が出るとともに、雄株は 2 cm 内外の房状の雄花を下垂してつけるが、雌株の花は目立たない。
気象庁が観測・統計を開始した 1953 年以降の気温とイチョウ黄葉との関係を見る。50 年間に約 11 日イチョウの黄葉が遅くなったことを示した。なお、カエデの紅葉についても同様に50 年間に約 16 日遅くなっている。(国立天文台が編纂する「理科年表オフィシャルサイト」より)
○東海道五十三次を歩く(戸塚宿~藤沢宿)/2011年12月15日の日記より
昨年の12月15日は、戸塚から藤沢宿まで約10キロほどの東海道を信之先生のお伴で歩いた。靴は、踵から着地できるよう設計されたウォーキングシューズ。この靴が頼りとなる。手袋と帽子、自分で編んだモヘアの小さいマフラー、いつものポーターの革リュックという出で立ち。朝8時過ぎに家を出て、グリーンライン・ブルーラインを乗り継いで、戸塚まで。結構乗っている時間がながいので、「東海道492キロ」という歩き方の本を読む。
戸塚の駅に降り立って、吉田茂を怒らせた「開かずの踏切」を渡る。わかりにくいのだが、右手にいって、家康の側室のお万の方が建てた清源院長林寺へ。奥のほうに芭蕉の句碑があったので、写真にとる。万両は、人の背丈ほどありそうなのがある。黄色い千両と赤い千両も。水仙は、冠のようなところも白い水仙があった。純白の水仙である。
観るほどのものはなく、15分ほどいて東海道となる道を行く。写真に収められる花があれば撮るつもりである。道端に、案内標識が出ていて、澤辺本陣跡とか、上方見附跡、お軽勘平の碑、松並木跡などがあった。
藤沢宿に近づくと、遊行寺がある。遊行寺は通称で、清浄光寺(しょうじょうこうじ)といい、時宗総本山の寺院。境内には、樹齢660年、樹高31メートルの大銀杏があった。一遍上人の念仏する姿の像もある。
遊行寺を過ぎて、藤沢宿の本陣跡あたりを見て、藤沢宿の町並みを見る。紙問屋らしい古い造りの家が残っていたり、老舗の豊島屋という「松露羊羹」で知られる店もある。お茶屋には、古い茶壷などもあった。昔ながらの商いの店がこじんまりと並んでいる通りである。
この通りが藤沢本町通りで、その端にある小田急の藤沢本町近くの喫茶店で、遅い昼食をとり、きょうの東海道の歩き旅の終わりとした。(昨年の俳句日記より)
[戸塚]
清源院長林寺
水仙のまだ咲かぬ花芭蕉句碑
[大坂・原宿]
冬晴れの長き坂なり上りけり
栴檀の実に藤沢の白き雲
徒歩旅にはやも椿の赤い花
富士山はあちらかここに枯すすき
[遊行寺]
遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
遊行寺坂日に透けいたる冬黄葉
[藤沢宿]
境川
本陣跡と札のみありて十二月
旧き家開かずの窓に冬日照り
山茶花の一樹咲き添う古き壁
ひとすじの門前町の十二月
◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)
○今日の俳句
冬夕焼一直線に街を射す/川名ますみ
寒々とした冬の街を夕焼けが染める。街をすべて染める「一直線」の夕焼けが力強い。(高橋正子)
○銀杏黄葉(いちょうもみじ)
[銀杏黄葉/横浜日吉本町] [銀杏黄葉/東海道53次藤沢宿・遊行寺大銀杏]
★赤を掃き黄を掃き桜もみぢ掃く/後藤比奈夫
★黄葉は今年最後の祭りかな/kudou
★空青し銀杏黄葉を輝かす/高橋信之
対象とする植物を全体として眺めたときに、その葉の色が大部分紅(黄)色系統の色に変わり、緑色系統の色がほとんど認められなくなった最初の日を、その植物の紅(黄)葉日とする。
カエデの紅葉やイチョウの黄葉は、秋になって気温がある値を下回ると色づきはじめ、一定期間ののち全体が紅(黄)葉する。したがって、気温が高ければ色づきが遅れ、低ければ早くなる。
イチョウは中国が原産地といわれる落葉高木で、社寺の境内や街路に多く植えられ、食用のぎんなんが実ることからもよく知られた植物である。雌雄異株で春に新葉が出るとともに、雄株は 2 cm 内外の房状の雄花を下垂してつけるが、雌株の花は目立たない。
気象庁が観測・統計を開始した 1953 年以降の気温とイチョウ黄葉との関係を見る。50 年間に約 11 日イチョウの黄葉が遅くなったことを示した。なお、カエデの紅葉についても同様に50 年間に約 16 日遅くなっている。(国立天文台が編纂する「理科年表オフィシャルサイト」より)
○東海道五十三次を歩く(戸塚宿~藤沢宿)/2011年12月15日の日記より
昨年の12月15日は、戸塚から藤沢宿まで約10キロほどの東海道を信之先生のお伴で歩いた。靴は、踵から着地できるよう設計されたウォーキングシューズ。この靴が頼りとなる。手袋と帽子、自分で編んだモヘアの小さいマフラー、いつものポーターの革リュックという出で立ち。朝8時過ぎに家を出て、グリーンライン・ブルーラインを乗り継いで、戸塚まで。結構乗っている時間がながいので、「東海道492キロ」という歩き方の本を読む。
戸塚の駅に降り立って、吉田茂を怒らせた「開かずの踏切」を渡る。わかりにくいのだが、右手にいって、家康の側室のお万の方が建てた清源院長林寺へ。奥のほうに芭蕉の句碑があったので、写真にとる。万両は、人の背丈ほどありそうなのがある。黄色い千両と赤い千両も。水仙は、冠のようなところも白い水仙があった。純白の水仙である。
観るほどのものはなく、15分ほどいて東海道となる道を行く。写真に収められる花があれば撮るつもりである。道端に、案内標識が出ていて、澤辺本陣跡とか、上方見附跡、お軽勘平の碑、松並木跡などがあった。
藤沢宿に近づくと、遊行寺がある。遊行寺は通称で、清浄光寺(しょうじょうこうじ)といい、時宗総本山の寺院。境内には、樹齢660年、樹高31メートルの大銀杏があった。一遍上人の念仏する姿の像もある。
遊行寺を過ぎて、藤沢宿の本陣跡あたりを見て、藤沢宿の町並みを見る。紙問屋らしい古い造りの家が残っていたり、老舗の豊島屋という「松露羊羹」で知られる店もある。お茶屋には、古い茶壷などもあった。昔ながらの商いの店がこじんまりと並んでいる通りである。
この通りが藤沢本町通りで、その端にある小田急の藤沢本町近くの喫茶店で、遅い昼食をとり、きょうの東海道の歩き旅の終わりとした。(昨年の俳句日記より)
[戸塚]
清源院長林寺
水仙のまだ咲かぬ花芭蕉句碑
[大坂・原宿]
冬晴れの長き坂なり上りけり
栴檀の実に藤沢の白き雲
徒歩旅にはやも椿の赤い花
富士山はあちらかここに枯すすき
[遊行寺]
遊行寺坂落葉たまるも切りもなし
遊行寺坂日に透けいたる冬黄葉
[藤沢宿]
境川
本陣跡と札のみありて十二月
旧き家開かずの窓に冬日照り
山茶花の一樹咲き添う古き壁
ひとすじの門前町の十二月
◇生活する花たち「柊・茶の花・錦木紅葉」(横浜日吉本町)
★落葉踏み階踏みてわが家の燈 正子
物寂しい冬の夜、家路に就く一歩一歩が身に沁みます。さくさくと歩む落葉から、一段を上るきざはしへ。体に伝わる響きが変わり、そうして辿り着く「わが家の燈」。冬の寒さや落葉を踏みゆくことで、いつもの帰り道や家の温もりが、より大切に思われるようです。