俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

10月12日(水)

2022-10-12 11:14:53 | 日記
曇り

●俳句を作るときに、一番迷うことは何かと考えると、イレギュラーと言われる場合のこと。現実、字余り、字足らず、句跨りは、生活や思想の多様化によって起こりうる。日本人の思想はどのように変化しているかを知らないと問題解決は難しい。季語についても歴史的に季節がどのように扱われて来たかも考察しなければいけない。四季の巡る自然のなかで暮らしていると、季節に関係あることに実際は二つも三つも同時に経験することは普通にある。その中から一つ選ぶには無理な場合もあるが、表現効果上一つが選ばれることが普通である。主な問題は二つ。①定型の逸脱(字余り、字足らず、句跨り)②季語の重なり。

俳句を形式的にのみ捉えると、よく勉強する人は、イレギュラーに目くじら立てて意味をなさない句を平気で作っていることがある。負かされるのは私である。虚子は、俊英と、普通の人に俳句を教えるとき、教えることが違っていたということはよく耳にすることである。俳句表現の効果上のことが、俳句の約束のようになっている現状は悩ましい。俳句よりもなお形式を重んじる茶道や華道もその粋に達すれば自在な境地があるのだろう。

俳句を文学とするか、文学としないかで違ってくる。文学とするなら、新しい俳句が生まれてしかるべきと思われる。今「俳句は一体何をしているんだろう」と、今朝、夢を見て思った。


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