俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

6月29日(火)

2021-06-29 22:39:32 | 日記
●晴れのち曇り、夕方から雨。

●ベランダの花が咲く。カサブランカ、カモミール、ミニバラが、一斉に開いた。なんで一斉に、と思ったが。まさか、おととい液体肥料をやったので、そのせいかも。しかし、急にそんなことはあり得ない。

●病院のはしご。午前に、ハート内科、午後に整形外科。そのあと、バタバタと仕事へ。

●角川の花冠の広告を見て、「師系が臼田亜浪ということで、尋ねたいことがある」と電話があった。その方は、横浜市内に住んでおられて、お母さんが若い時に亜浪先生に添削など直接指導を受けたとのこと。亜浪先生の軸が4本あるが、そのうち一つの意味がわからないから教えてもらえないかと。お母さんは吉野義子さんと親しく、義子さんの句碑を岡山のご自分の母校に建てるのに尽力されたということ。義子さんと言えば、義子さんは大野林火の弟子。臥風先生のお宅の句会でご一緒した。お宅にも伺って、句会をしたことがある。ここで、義子さんの話を聞くとは思わなかった。
亜浪先生の句は
「茸の香を(お)毛へ婆玉梅思ひもす」
今では、ちょっと謎めいている。調べないとわからないので、後程電話しますと言って受話器を置いた。すぐネットで検索したが、まったく出てこない。

「薄田泣菫」の随筆に「茸の香」が青空文庫で見つかった。匂いについて書かれた名随筆とのこと。A4用紙一枚と少しの分量。香魚(あゆ)を食べるのは、香魚を食べるのではなく、淡水(まみず)を味わうのだ、とか。茸を食べるのは、「山の匂い」を味わうのだ、とかいう具合。なにか、このあたりにヒントがありそうな気がしてきた。亜浪が、泣菫のこの随筆を読んでいたのかどうかわからないが。

●電話で、その方に、「花冠の広告、高い広告料を出しているが、役に立ってるのか、立ってないのかと思うんですけどね。」というと、「そんなことはないです。師系亜浪を見つけて、藁にもすがる思いで電話をしました。とても役にたっています。」と。そういう役立ち方かと、広告のいくつもある意義を思った。

●こういう方が日本中におられるだろうから、「花冠」を続ける意味があるというものかも。大結社である必要も、立派な本である必要もない。ただ雑誌が存続することが大切なのだと。

●「あなたは生きている価値があるのか」という問に対して、「ただ存在していることに価値があるのです。」と言えそうな気がしてきた。それは、いま上に書いた理由による。
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6月28日(月)

2021-06-29 22:34:02 | 日記
晴れ
●午前、花冠365号を会員に送る。午後、国会図書館、新聞社、俳句総合雑誌、それに会員以外の花冠にゆかりのある人たちに贈る。39通。ゆうメールより、定形外郵便のほうが安い。一通140円。ゆうメールなら180円。

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