goo blog サービス終了のお知らせ 

珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

感覚の一つ

2019-11-12 | 思うこと
何度も書いているけど、私は何かを強く信じて祈るということには力があると思っているし、その対象は何でもいいと思っている。
(ならテロリストの教えでもいいのかという屁理屈じゃなくて、宗教とか宗派に、正邪だの害毒だの唯一正しいはないと思っている。だから教義論争のようなものがバカバカしくてしょうがない。
むしろこれによる弊害がいっぱいある)

教団の教祖がインチキだとか、職員が豪遊している、金儲けが目的、本尊がカラーコピーというのも、
例えそうだとしても、
信者がそんなことを相手にせず、純粋に信じ切って祈るとしたら、祈りの力とそれらは別問題。

これをいっしょくたに語るのは違うと思う。

力があるというのはドラえもんのポケットのような「願いは何でも叶う」ということじゃなくて、迷わない確信というか、心が定まって腹が据わるような、心を落ち着かせる効果があるのでは?と考える。

私はこの自分の経験と感覚から思うことを、少なくとも会ったこともないお坊さんや難しい経典よりは信じている。
自分の我見なんかよりそれらを信じなさいという意見もあるけど、私はそれは選びたくない。

正しい間違ってるなんてわからないし、そういう計り方はしたくない。
ただ自分がそう思うだけで、それを大切にしたいだけ。

経験や感覚で思うことなんて絶対ではないし、コロコロ変わるかもしれないけど、それでいいと思う。
違うなと思ったら、その都度改めればいいと思う。
絶対と言われてる科学だって覆ることもあるもんね。
むしろ永遠の真理なんて言われる方が嘘っぽいと思うわ。

以上がざっくりとした今の宗教観というか、私の感覚の一つと思う。

学校事情10

2019-11-12 | 日記
参観日と懇談会と、部活のお世話係の後期の役員決めがあった。
三つ目は昨今の学校事情であり、人手が足りない公立中学では、部活動にもPTAのような保護者の協力体制が必要なのである。
チョイ活の私は、参観日と懇談会はパスして役員決めだけに参加した。

これは小学校からなんだけど、参観日はサボってもママたちが絡むPTAのようなものは休めない。
彼女らから少しでもわるい評判が立って、子どもに影響するわけにいかないからである。
私の場合は、一緒にお茶するような特別な仲良し付き合いを誰ともしていない代わりに、こういう会合にはなるべく参加しておくことにしている。

連絡は当然のようにラインというので、買ったばかりのスマホで、慌てて家族以外で初のグループラインに参加した。
買い替えておいてよかった。
ガラケーは個人の好みなどと言っておれず、もはや人に迷惑をかけてしまうのよね。

私がママたちとそんなに濃い付き合いをしていない上に、娘がまた余計なことは話さないタイプなので、学校や子どもの様子は、おそらく情報通のお母さんの1/30くらいしか入ってこない。
29/30は、どうせ余計なことなんだろうということにして。

廊下に学年全員の習字が展示してあった。
娘の文字は「ハッと目を引くほど上手」でも下手でもなかった( ̄∇ ̄)
これも何年か習わせた記憶はあるんだけどな、と苦笑いしながら見ていたら国語の先生が話しかけてくれた。
一緒にいた部活の仲良しのお母さんと一緒に
「お子さん二人とも本当によい娘さんですよ。友達にイジワルなど微塵もしないタイプです」
と言われて、
「親としてはそれを言って頂ければ何よりです」と安心した。

私にはこれくらいの情報で充分である。
チョイ活は性分だろうか。