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珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

チョイス

2019-11-06 | S教団関係
私はS時代、自分ではバリ活のつもりだったけど、そうではなくてチョイ活だったようである。
つまり好きなことだけチョイスする、活動を選り好みするタイプだった。
「自分中心活」ともいうらしくて、あまり褒められた意味では言われなかったけどね。

嫌いなこと、おかしいことは、めでたくマインドコントロールされなかったということなんでしょうかね?
マインドコントロールって「コントロールされる」というわりには、自分次第のようですね。

ネットの悪口のパターンに、人が何かを好きというと、すぐ
信者鵜呑み心酔にするというものがある。
人を「100%盲信する人」にしたいんでしょうね。

でもそういう人に限って、完璧じゃないなら
全否定。
これって全てを鵜呑みの裏返しですよ。
気に入らないことがあったらそれが全てであるように、人格から何から100%吐き捨てる。

いやいやこれこそ、チョイスですよ。
完璧な人はいないし、絶対の理論なんてものもそうない。
いいところも悪いところも、その部分だけチョイスでいいんじゃない?

白と黒とグレーだけではなくて、マーブルも有りなのでは?

NOという力3

2019-11-06 | 日記
二日前までガラケーだったせいか、私は盗撮ということにあまりに無関心だった。
携帯を使うのは100%電話かメールのみで、それ以外の用がなかった。
ちょうど老眼が始まったこともあって、電車の中で携帯をいじるなどここ5、6年していなかったと思う。

でも有名人を見たらこれをやる人がかなり多いことも知った。
「写したい。写そう」以外は考えない習慣になってしまったんだろうか。

夫がいわゆるギョーカイで働く人というと「わあ、いいなあ」と言われることがある。
どんな意味で「いいなあ」は知らないど、私も非常によかったと思っていることがある。
それはいわゆる有名人などを、ごくごく普通の人という目で見れることになったことである。
当たり前のことなんだけど、これは無意識のうちにそうなった。

普通の人をジロジロ見るとか指さすとか盗撮などしないなら、そういう人にもしないのは当たり前。
たった一枚の写真のために、仕事も家族も失って人生もめちゃくちゃになる場合もある。
「勝手に撮らないでください」という当たり前のことをするだけで、労力もストレスもかかるのは大変だと思う。

「NOをいうこと」に消耗する人がいかに多いかは、ネットの書き込みでつくづく知ったことである。
とはいえ、一回ノーと言ったくらいで「いいじゃな~い」「そんなこといってもねえ」と引き下がらない人が多いのも同じくらい知った。
断っても訪問される、嫌な顔をしても伝わらないなど、ノーがなかなか伝わらないボヤきは多く読んだ。

私も「そういう憶測はやめてください」とどんだけ明瞭に言ったところで、ネットになると
「だって書いていることの感想を言ってるだけよ。嫌なら書かなきゃいいじゃない」
と効果がないことを何度も経験した。

 ノーと言えない日本人、などと悠長なことは言ってられない時代になったなあとしみじみ思う。