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珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

有難いシステム

2019-06-07 | S教団関係
以前、私は排他的な思想はよくないんじゃないかと、よそのブログに(鯛焼きさん)コメントを書いたことがあった。
が、それも最近は全然問題じゃないなと認識を改めている。

ネットという便利なものができて、多くの信者さんは布教をネットで済ませるようになった。
ゴニョゴニョ言ってサーッと逃げるのではなく、ひるまず語尾まで自信たっぷりに、くっきり鮮やかに明確な言葉でゴリ押し語る。
しかも密室でコソコソではなく、堂々と世界発信である。
お陰でイメージでごまかされることがなくなって、ガラス張りのように教えの内容がわかるのがまことに結構。
くっきりはっきりさせないのは、自分の素性のみ(笑)

どこの誰かもわからない人がネットで布教したところで、じゃあ入信してみようなんていう人がいるとは思えないが、信者は主張さえできればそれで満たされる。
友達も失わない。
一方で聞く人も、実生活に何ら迷惑を及ぼさないので、これはとっても有難いシステムと思う。

思いっきり語りたい信者と、それは尊重したいけど自分は巻き込まれたくないそれ以外。
双方の願いが一致して叶ったではないか。
すばらしい~~\(^▽^)/

排他的であろうが危険であろうが、仮想空間なら絶対安全だから、排他でも危険でもドンドン語ればよろし。
信者は増えないだろうけど、今居る信者はこれで満足。
まわりもシアワセ。

ネットの出現で、宗教戦争が醜いとか酷いとか思ったこともあったが、いや、よく考えたらメリットの方が大きいかも!!

納得した言葉2

2019-06-07 | 思うこと
ある時期から、どんな学者が言っていようと、人気者の発言だろうと、その場で大勢が口をそろえていようと、違和感があれば受け入れないようにしようと思った。

その違和感を具体的に書くなら、本当は自分で言葉にできたらいいんだけど、「ああこれだ~」という文章を見つけたので、一部を抜粋、引用させて頂きます。
スゴイなあ。言葉が的確。

ブログ「まるぞう備忘禄」より以下

1,まず人間は罪深いよな。お前は罪人だよな。
2,でも気の毒だから私が救ってあげよう。その罪を取り除いて天国に連れていってあげてもいいよ。
3,そのためには私を信じ、私の言うことを何でも聞くんだよ。そうすれば天国に行けるよ。
4,でも私を疑ったり私から離れると地獄行きだよ。永遠に業火に焼かれるよ。それでもいいの?
5,おまえは罪人だから神様へは私が取り持ってあげよう。私は神の代理人だから。私を通しなさい。だってお前は直接神様と話できないだろ。
6,俺はお前たちの代わりに十字架にかかったんだよ。な。俺を信られないのか。あん?
7,いい子だ。私に逆らわず、私の言うとおりにする。と契約しな。

パターン1,罪の意識で縛る。

飴と鞭を使い分ける頭が良い悪人ウイルス。
あるいはひたすら虚言で「謝罪と賠償」と声高に連打するウイルスもあります。
これは「自分が我慢すればいい」「自分が悪いのだから仕方ない」と思う癖の人が喰い物にされます。

もし相手が「あなたが悪いのだから言うことを聞かなきゃだめなんだ」という罪悪感の圧力で接して来た場合は要注意。

パターン2,甘い言葉で近寄る。

「あなたの為なんです」「あなたを助けたいんです」と言って近寄って来ます。

この手の詐欺師ウイルスは「甘い臭い」という共通点があります。
見分けるのはその人との会話が終わってその人から離れたあと。
その人の後味(あとあじ)はどうであったか。

詐欺師ウイルスは対面の時は「私は良い人ですよオーラ」を発します。
対面で会話している時。
彼彼女の詐欺オーラに包まれて油断してしまいます。が実は私達は無意識では「こいつ嘘ついている」と警告が発せられております。
ですからその人が去った後。その人の「私は良い人ですよオーラ」の影響が消えた後。
その人の後味(あとあじ)を思い出してみます。
彼彼女の隠された悪意を「なんとなく変」という印象で発見することが出来ます。

会ったあとの後味(あとあじ)が悪い人間は要注意です。
意識的に距離を開けてなるべく関わらないこと。彼彼女が言うことを間に受けないこと。

パターン3、泣きつく。

「困ってるんです」「あなたしか頼れないんです」「助けてください」と泣きつく。
一度手を貸すと際限なく泣き落とし要求が繰り返され、軒下を貸して母屋を乗っ取られるケース。

あなた「もうこれが本当最後だからね。」
彼「ありがとう。もうこれっきりにします。助かりました。本当にありがとうございます。」
彼の本音(お人好しを騙すのはチョロいな〜)

お金を無心するケースもあるでしょう。
 あるいは延々と自分の愚痴を聞かせるという「時間とエネルギーを奪う」ケースもあるでしょう。
NOとは言えない人は、依存人ウイルスの鴨(かも)になりやすい。

パターン4、感情を揺さぶる。

ヒトラーの演説が代表的です。
一見正義を述べます。
そしてその人は非常に演説が上手。政治家向きです。
自分の話し方ひとつで聴く人の感情を大きく揺さぶります。
「こんなこと許されるでしょうか。ね。みなさん。そうでしょ。いいんですか。許されないでしょ。」

聴く人は感情が強く揺さぶられると、その言葉が論理的かどうかは判断できなくなります。
ただその言葉に従わないといけない。
そのように感情が誘導されます。
賢明であったはずのドイツ人の多くがなぜ誘導されたのか。という理由です。
聴く人のネガティブ感情に火をつけて、特定の対象の憎悪排斥へと民衆を誘導することが可能です。
自分の心に不満心を抱く人は感染しやすいです。

揺さぶりウイルス。
これに対抗するには自分の心を観察するというワザが必要です。
その人の言葉を聴いて、自分の中の感情がどう動くかを観察すること。
自分の感情を観察出来ている間は大丈夫です。
感染しません。
もし自分の感情がネガティブに大きく揺さぶられていることを観測出来たなら。
その人の言葉は要注意
であります。
自分の心の不満心をうまく利用されています。

真実の言葉は淡々と静かです。
聴く人の心をネガティブな方向に揺さぶったりしません。
真実の言葉は聴く人の自律を保つように伝えられます。
その人の不満心を増幅するような話はしません。

上記は私の「境界線ルール」です。
このルールは人それぞれでありましょう。
各自が自分の人生の失敗を通して、自分なりの「関わらない境界線ルール」「NOという境界線ルール」を持つ意志の強さが必要となります。

本当に相手のことを思うのであれば、「NOという境界線ルール」は必要なのです。
自分のためであり、相手のためであります。

まとめ。
1,罪悪感で責めてくる人間は免疫警報。
2,後味(あとあじ)が悪い人間は免疫警報。
3,自分がNOと言えない相手は免疫警報。
4,自分の感情をネガティブに揺さぶる相手は免疫警報。

引用ここまで。

うまく言えなかったけど、自分が何をされたわけでもない人にむかって「反省が足りない」と言うこと。
「辛いでしょう、苦しいでしょう」と煽ってくること。
「よかれ」と思いから、他人の生死を揶揄すること。
罪悪感や恐怖を誘導して、楽観的な人間にさえ何らかのネガティブな感情を起こそうとする、そんな言葉を聞いた時、私はザワザワするような違和感を感じていた。

でも、これでいいんだろうか?
私がただ素直に聞けないだけなんだろうか?
と思っていた時、出会った言葉。

>真実の言葉は淡々と静かです。
>聴く人の心をネガティブな方向に揺さぶったりしません。

ホッとした。
ありがとう。
とても参考になった言葉だった。

「それぞれでありましょう」のルールを、私も考えて持ちたい。