■一の鳥居、社號標■
(8th December 2007)
★朝椋神社★ 和歌山県和歌山市鷺の森明神丁22
・延喜式内社、紀伊國名草郡、朝椋神社。
・旧社格は村社。
・祭神は大國主命。大己貴命(『紀伊國名所図会』)、天津羽々神、天石帆別神(『紀伊続風土記附録』)とあるので、祭神に変遷があったのかもしれない。
・本居宣長が来たそうで、以下の歌を詠んでいる。
「廣まへに緑も深く枝たれて よにめつらしき神かきの松」
・本殿は流れ造。
・天正の戦乱に焼かれ、文禄五年(1596)桑山修理大夫宗栄再建し、萬治二年(1695十二月古殿回禄に罹り徳川氏再建。
・昭和二十年(1945)七月、戦災の爲焼失。
・昭和三十五年(1960)、再建。
■二の鳥居■
(8th December 2007)
■拜殿■
(8th December 2007)
■本殿■
(8th December 2007)
((コメント))
2007年12月8日
朝椋神社へといった。本殿は、布で囲まれていた。防護のためなのだろうか。建物の状態がよくないのかもしれない。神の存在をまったく感じず、自然も感じず、何を祀っているのか私には理解できないところであった。
(8th December 2007)
★朝椋神社★ 和歌山県和歌山市鷺の森明神丁22
・延喜式内社、紀伊國名草郡、朝椋神社。
・旧社格は村社。
・祭神は大國主命。大己貴命(『紀伊國名所図会』)、天津羽々神、天石帆別神(『紀伊続風土記附録』)とあるので、祭神に変遷があったのかもしれない。
・本居宣長が来たそうで、以下の歌を詠んでいる。
「廣まへに緑も深く枝たれて よにめつらしき神かきの松」
・本殿は流れ造。
・天正の戦乱に焼かれ、文禄五年(1596)桑山修理大夫宗栄再建し、萬治二年(1695十二月古殿回禄に罹り徳川氏再建。
・昭和二十年(1945)七月、戦災の爲焼失。
・昭和三十五年(1960)、再建。
■二の鳥居■
(8th December 2007)
■拜殿■
(8th December 2007)
■本殿■
(8th December 2007)
((コメント))
2007年12月8日
朝椋神社へといった。本殿は、布で囲まれていた。防護のためなのだろうか。建物の状態がよくないのかもしれない。神の存在をまったく感じず、自然も感じず、何を祀っているのか私には理解できないところであった。