■石標■
(19th January 2009)
★長屋王墓所★ 奈良県生駒郡平群町大字梨本
・長屋王は天武天皇の第一皇子とされる市皇子の皇子。母親は元明天皇の同母姉である御名部皇女であるという。
・妃は草壁皇子女吉備内親王、夫人に藤原不比等女がある。
・左大臣となり、政治家の筆頭とまでなったが、藤原氏との政爭の末、謀反人とされ、自害。
・長屋王家の発掘調査などの多量の出土品、『日本靈異紀』などの記述などから、實は、長屋親王であったという説もあり、父市皇子もまた、天皇であったという可能性も強く、この父子の歴史は謎に包まれている。
■長屋王墓所■
(19th January 2009)
((コメント))
2009年1月19日
紀氏社の近くに左大臣長屋王の墓所があったので立ち寄ってきた。何故、平群に葬られたのだろう。館跡の調査で、大きな豪邸であったことや奥の木簡、そこには「長屋親王」と記されていたことがあり、實は「王」ではなく「親王」という説もある。その上に、父に當たる市皇子も實は、天皇であったという説もあるのである。市皇子の父とされる天武天皇こと大海人皇子にも謎があり、ここ三代が非常に謎に包まれていたりする。個人的には、天武天皇となった人物の前半生も謎であるし、不可解といえば不可解な状況もありそうではある。まあ、個人的に研究するほど興味がないのでどうでもいいのだが、もし、自分が小説家であるのならば、次のようにするだろう。
向王と寶女王の間の漢王 → 天武天皇
舒明天皇と寶女王の間の中大兄皇子 → 天智天皇
同じく、大海人皇子 → 高市皇子
そう考えると興味深いものである。
(19th January 2009)
★長屋王墓所★ 奈良県生駒郡平群町大字梨本
・長屋王は天武天皇の第一皇子とされる市皇子の皇子。母親は元明天皇の同母姉である御名部皇女であるという。
・妃は草壁皇子女吉備内親王、夫人に藤原不比等女がある。
・左大臣となり、政治家の筆頭とまでなったが、藤原氏との政爭の末、謀反人とされ、自害。
・長屋王家の発掘調査などの多量の出土品、『日本靈異紀』などの記述などから、實は、長屋親王であったという説もあり、父市皇子もまた、天皇であったという可能性も強く、この父子の歴史は謎に包まれている。
■長屋王墓所■
(19th January 2009)
((コメント))
2009年1月19日
紀氏社の近くに左大臣長屋王の墓所があったので立ち寄ってきた。何故、平群に葬られたのだろう。館跡の調査で、大きな豪邸であったことや奥の木簡、そこには「長屋親王」と記されていたことがあり、實は「王」ではなく「親王」という説もある。その上に、父に當たる市皇子も實は、天皇であったという説もあるのである。市皇子の父とされる天武天皇こと大海人皇子にも謎があり、ここ三代が非常に謎に包まれていたりする。個人的には、天武天皇となった人物の前半生も謎であるし、不可解といえば不可解な状況もありそうではある。まあ、個人的に研究するほど興味がないのでどうでもいいのだが、もし、自分が小説家であるのならば、次のようにするだろう。
向王と寶女王の間の漢王 → 天武天皇
舒明天皇と寶女王の間の中大兄皇子 → 天智天皇
同じく、大海人皇子 → 高市皇子
そう考えると興味深いものである。