の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

麻賀多社本宮

2010年05月01日 22時23分02秒 | 関東(栃木、茨城、千葉、群馬)
■鳥居■
(13th June 2008)



★麻賀多社★ 千葉県成田市台方字稷山1

 成田市史跡

・延喜式内社、下總國印旛郡、麻賀多社。

・舊社格は社。

・祭は本宮が稚産靈命、奥宮が稚日靈命。

・本宮と奥宮からなり、本宮は台方字稷山、奥宮は立谷津を一つ隔てた北方八百メートルの船形字手黒にあり、社家は太田家が務めた。

・社号の麻賀多は、麻の産地、麻縣による。

・一説には、印旛沼の潟から、眞潟であるとも。さらに、豐城入彦命下毛野君弟眞若君から「眞若田」からとも。あるいは、祭稚産靈命から、眞若であるとも。要は、不詳。

・社家太田家伝來の『延喜式内奥津宮麻賀多社』という縁起によると、日本武尊が東征のためこの地を通ったとき、松杉生い茂る山に登り、一本の大杉のウロに鏡を掛け、西に向かって伊勢の大御を拜み、戰勝祈念した。その折、里人から土地が悪く穀物が實らない嘆きを受け、その鏡を祀れば豐作になることを告げると、泉が湧き、慈雨が降り、五穀豐穰の地となったという。

・應天皇の御代、伊都許利命が、印旛國造として當地に來たおりに、靈夢をうけ、杉の木の下より七つの玉を掘り出し鏡と共に祭って、一社を創建したのが現奥宮という。麻賀多眞大明と稱した。

・推古天皇十六年(608)に、伊都許利命八世の孫広鋤手黒彦が、稷山の地に稚産靈命を遷座し、大宮殿を造営し、現本宮ができ、ここに二つの麻賀多眞大明が成った。

・延喜十八年(918)、朝廷の寶物である三種の器の一つ八尺瓊勾玉と同名であることから麻賀多社と改稱したという。

・奥宮境内地には伊都許利命墳墓といわれる方墳があるが、形態や石室、石棺から推測し、七世紀後半から八世紀初期のものと推測され、命の崩御年代に合わない。太田家系図によると、八代目広鋤手黒彦が皇極天皇元年(642)崩御とあり、年代が符合し、また、手黒彦は、稷山の地に稚産靈命を遷座したとされる人物で、古墳と奥宮の所在地「手黒」とも名が一致することから、從來の説とは別に、推古天皇十六年(608)、稷山の地に麻賀多社を創祀し、手黒彦死後、遺体を葬った場所に一族が社を設け、これが奥宮となったと考える説もある。

・印旛沼沿岸に鳥居河岸というところに鳥居があり、幸式の際の重要な場所であるという。

・印旛郡下十八麻賀多の總社。

・史家によっては、本宮と奥宮を混同して著述したり、その誤りが他の著作に引用されるなどし、論社の物議を引き起こすこともあった。


■祓戸社■
(13th June 2008)



■木■
(13th May 2009)



■參道■
(13th May 2009)
 


■拜殿■
(13th June 2008)


(13th May 2009)
 
 


■本殿■
(13th June 2008)

(13th May 2009)


 成田市指定文化財

・一間社流れ造り。
・寛文十三年(1673)の建築。

■社殿■
(13th May 2009)



■木の大杉■
(13th June 2008)


 千葉縣天然記念物


■末社天之日津久社■
(13th June 2008)

(13th May 2009)
 

・ここで岡本天明が大本系宗教の関連啓示となる『日月示』(別名:ひふみ示)を自動書記したことで有名。なお書かれた文字は数字とカナと記号からなり、書いた天明自身讀めないらしい。
・噂ほどのエネルギーは感じない。


■末社青麻社■
(13th May 2009)
 


■末社幸靈社■
(13th May 2009)
 
馬来田郎女神社

■末社三峯社■
(13th May 2009)



■末社馬来田郎女社■
(13th May 2009)
 


((コメント))

2008年6月13日

mixiのひふみ示コミュで崇拜されている麻賀多社に様子を見に行ってみた。ちなみに、4時半に起きて5時前に道の駅八千代を出発している。

 麻賀多社には印旛沼の横を通り抜けて大体午前五時半くらいに到着した。誰もいないし、人影もなかった。が、気にせずに旅の開始。境内に入って、最初の石階段を上ると社務所があり、その向かい側に祓い戸があるのだが、古い木が立っており、なかなかよさげではあった。だが、噂ほどではないというのが印象。

2009年5月13日

 昨年の六月に一度、麻賀多社の本宮に来ていたので、もう来ることはなかろうと思っていたのだが、再び、関東に来る機会を持ったので、奥宮まで行くことにし、まずは本宮へ立ち寄った。

 前回は午前五時くらいに来たこともあるが、昨年ほどのすがすがしさは感じなかったが、ま、何も感じないというわけではなく、それなりの気はあるところではある。ただ、日月示信奉者が盲信するほどのすごさは相変わらず感じない。


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