■鳥居■
(4th July 2012)
★明社★ 大阪府大阪市大正区鶴町2-7-29
・祭は天照皇大、八幡大、春日大。
・後陽成天皇の御代、京都の西院に祀られたのを創祀とする。
・川家康外孫の松平忠明が、大阪夏の陣に向かう途中、當社で戰勝祈願、華華しい軍功を立て、その後の論功行賞で大阪城主となった忠明は、明社の靈驗灼かなりと、大阪城町中の守護として元和二年(1616)、京から大阪蝋燭町(後の内平野町)に遷したという。
・朝日の明、夕日の明と共に大坂三明の一つに數えられ、南面の當社は日中の明又は照日の明と稱せられ、三(南、北、天滿)町中の祈禱の社として尊崇され「大坂の祈禱所」と呼ばれた。
・往時の社地は廣大であったが、時代が下るに連れ狹小し、松屋町筋擴張工事が境内地にかかる事となる折、特に大正区鶴町住民の熱烈な誘致により、大正十三年(1924)八月、鶴町、鶴濱通、町、船町の氏として鶴町一丁目に遷座奉齋となる。
・大東亞戰爭で銅製の馬を供出。
■手水舍■
(4th July 2012)
■拜殿■
(4th July 2012)
■本殿■
(4th July 2012)
■攝社橘稻荷社■
(4th July 2012)
■末社合殿■
(4th July 2012)
・(向かって左から)出世天滿宮、琴平宮島二柱社、櫻根稻荷社。
((コメント))
2012年7月4日
晝から、大正區の鶴町にある施設にて面接があったので訪問し、その後、バス停の近くに鎭座する明社に訪問。實際、面接のときに近くに社があり訪問すると、そこで仕事をすることはなくなるのであるが、二度と來ないかもしれないところで、さほど有名でない社となるとなおさら緣がないので立ち寄ることとした。埋立地なのか島(中洲)というべきか、このエリアの鎭守と考えるとその雰圍氣も傳わる。まさしく、海の中というイメージであった。
(4th July 2012)
★明社★ 大阪府大阪市大正区鶴町2-7-29
・祭は天照皇大、八幡大、春日大。
・後陽成天皇の御代、京都の西院に祀られたのを創祀とする。
・川家康外孫の松平忠明が、大阪夏の陣に向かう途中、當社で戰勝祈願、華華しい軍功を立て、その後の論功行賞で大阪城主となった忠明は、明社の靈驗灼かなりと、大阪城町中の守護として元和二年(1616)、京から大阪蝋燭町(後の内平野町)に遷したという。
・朝日の明、夕日の明と共に大坂三明の一つに數えられ、南面の當社は日中の明又は照日の明と稱せられ、三(南、北、天滿)町中の祈禱の社として尊崇され「大坂の祈禱所」と呼ばれた。
・往時の社地は廣大であったが、時代が下るに連れ狹小し、松屋町筋擴張工事が境内地にかかる事となる折、特に大正区鶴町住民の熱烈な誘致により、大正十三年(1924)八月、鶴町、鶴濱通、町、船町の氏として鶴町一丁目に遷座奉齋となる。
・大東亞戰爭で銅製の馬を供出。
■手水舍■
(4th July 2012)
■拜殿■
(4th July 2012)
■本殿■
(4th July 2012)
■攝社橘稻荷社■
(4th July 2012)
■末社合殿■
(4th July 2012)
・(向かって左から)出世天滿宮、琴平宮島二柱社、櫻根稻荷社。
((コメント))
2012年7月4日
晝から、大正區の鶴町にある施設にて面接があったので訪問し、その後、バス停の近くに鎭座する明社に訪問。實際、面接のときに近くに社があり訪問すると、そこで仕事をすることはなくなるのであるが、二度と來ないかもしれないところで、さほど有名でない社となるとなおさら緣がないので立ち寄ることとした。埋立地なのか島(中洲)というべきか、このエリアの鎭守と考えるとその雰圍氣も傳わる。まさしく、海の中というイメージであった。