■鳥居、表門■
(24th April 2009)
★靈光殿天滿宮★ 京都府京都市上京区徳大寺殿町365
・舊社格は村社。
・祭は菅原道眞、川家康。
・寛仁二年(1018)、菅原道眞六代後裔義が勅命により河内國若江郡に殿を建てたのが始まりという。
・社名は、道眞の左遷の際、天から一條の光とともに天一帝釈天が降臨したとの傳説に因む。
・蒙古襲來の際、後宇多天皇が當社にて夷賊退治の祈禱を行わせたところ、元の船がことごとく沈んだ爲、『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜ったという。
・應仁の乱の際に社領を失い、東寺境内に遷座。
・江戸時代に社家の若江家が再興され、塔之段に社殿を再建、寶暦十一年(1761)に現在地に遷座。
・川家康は當社を深く崇敬し、元龜元年(1570)に天下太平の祈願をし、また、若江家の再興に尽力。家康の死後の寛永十三年(1636)、川家光が仙洞御所にあった家康の像を當社に移し、祭とした。
■社號標■
(24th April 2009)
■拜殿■
(24th April 2009)
■本殿覆い屋■
(24th April 2009)
■本殿■
(24th April 2009)
・明治五年(1872)に近衞家の舊鎭守社を移築。
((コメント))
2009年4月24日
京都だけに菅原道眞の天滿宮が多いのであるが、名稱が興味深いので立ち寄ることとした。京都の街中の小さな社であるが、大切にされているのがわかるところである。
(24th April 2009)
★靈光殿天滿宮★ 京都府京都市上京区徳大寺殿町365
・舊社格は村社。
・祭は菅原道眞、川家康。
・寛仁二年(1018)、菅原道眞六代後裔義が勅命により河内國若江郡に殿を建てたのが始まりという。
・社名は、道眞の左遷の際、天から一條の光とともに天一帝釈天が降臨したとの傳説に因む。
・蒙古襲來の際、後宇多天皇が當社にて夷賊退治の祈禱を行わせたところ、元の船がことごとく沈んだ爲、『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜ったという。
・應仁の乱の際に社領を失い、東寺境内に遷座。
・江戸時代に社家の若江家が再興され、塔之段に社殿を再建、寶暦十一年(1761)に現在地に遷座。
・川家康は當社を深く崇敬し、元龜元年(1570)に天下太平の祈願をし、また、若江家の再興に尽力。家康の死後の寛永十三年(1636)、川家光が仙洞御所にあった家康の像を當社に移し、祭とした。
■社號標■
(24th April 2009)
■拜殿■
(24th April 2009)
■本殿覆い屋■
(24th April 2009)
■本殿■
(24th April 2009)
・明治五年(1872)に近衞家の舊鎭守社を移築。
((コメント))
2009年4月24日
京都だけに菅原道眞の天滿宮が多いのであるが、名稱が興味深いので立ち寄ることとした。京都の街中の小さな社であるが、大切にされているのがわかるところである。