怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月5日夕方 金曜の私のトラウマ弔問が、残念な形にされそうです

2011-08-05 21:31:03 | 学校に対して
今晩のトラウマ弔問、いつもの落ち込みの私に、親分達登場。
市教委に相談し、月命日は2年の先生全員、
そして毎週金曜は学校幹部(親分や役職者)の弔問と言われた。

毎週先生が来て、娘宛ての手紙のノート交換はしてもらえない。



娘は2年B組、席替えも参加、クラスの一員、って生徒さん達の前では。
なのに親の私達は、保護者としては扱ってもらえない!


娘は命を落としてもクラスの一員、学校はやってます、のアリバイ作り?


毎週会ったこともない学校幹部が来て、娘が喜ぶ?

やはり2年の先生達に、せめて違う学年の現場の先生達に来てもらってこそ、
悲惨な事故を起こした学校の、先生達の「意識」に繋がると思う。

事故の時引率した先生達を、2名しか残せなかった残念な学校。


娘の命の重さって?


人生をボロボロにされた遺族の私達って?


また不信感が募っていく。


8月5日 1年前の8月5日は四十九日でした

2011-08-05 09:22:18 | 事故後の動き
非常に暑い日だった。

親戚一人いないこの地に、遠方からわざわざ新幹線、高速で、限られた近親者のみ、仕事を休んで早くから来てもらった。

築10年の一戸建ての我が家の間取りは、玄関・階段のホールを挟み、和室とLDKで仕切られている。

その6畳しかない和室に、なんとか親戚に座ってもらい四十九日の法要をした。
遠くの高齢の祖父母はこれず、どんなにか心残りだっただろう。

やはり私の実家からは、近所の方の学校への、新聞等の報道からまとめた抗議文が。
事故状況についての保護者会に出席できる訳もなかった遺族の私達。

新聞やテレビの報道でしか知り得なかった事故。
やっと遺族側からなぜか?、連日の弔問攻撃時の校長に問うと 待ってました! とばかりに警察の調書時のメモを読み上げだした。

遺族へのなんの配慮もなく、読み上げられていく状況。さすがに娘の最期なんて、聞くに堪えれず、

「学校に殺された!」 と私は言ってしまった。

その苦い経験があるので、実家の抗議文?にも目を通さず
超混乱していた気持ちが落ち着いたら、冷静に事故状況を把握しようと思った。

ありがたいことに、両実家の親戚も騒ぎ立てることもなく、突然の悲し過ぎる現実を受け止めていた。

 
話はとぶが、昨夜もやはり眠れず、病院で処方された入眠薬服用。
去年の睡眠障害の時、薬の服用を知っていれば、どんなに楽だっただろう。