事故後司法解剖され、土曜の夜にようやく自宅に帰れた娘に、翌日涙で謝りに来た先生達。
娘の死や救助された生徒達の入院、心に深い傷を負った多くの生徒達への対応、しかも、学校生活も元に戻していかねばならず、学校は大変だったであろう。
だが、
事故の6月18日で止まってしまった私達の生活。
毎日のように、娘に会いに来てくれる生徒さんもいた。
しかし、先生達の娘への対応や気持ちは、薄れてゆくばかり。
3ヵ月も学校に在籍できなかった娘。忘れられるのも無理ないか?
娘の命を奪った学校に対して、募ってゆく不信感。
それで私のトラウマにされてしまった金曜に、一人の先生でもいいので娘に会いに来て欲しい、娘のことを思って手紙を書いて来て欲しい、とお願いした。
そして始まった、その手紙を貼り付けた先生達とのノート交換。
それでも先生達の気持が信じられなくなり、先生達に、ノートを続ける署名、捺印をお願いした。
教頭からの答えは「義務になりますから!」と断られた。
「義務」教育の野外学習で、悪天候の中先生を信じ、
何の落ち度もなく、命を落とした私の娘。
その頃、事故(事件?)担当の刑事さんに、調書用に娘の生い立ちの文も依頼されていた。
身を切るように辛い作業だったが、娘の思い出を書き出すと多くの枚数になっていった。
娘の生い立ちの文を取りにみえた刑事さんは、元校長の調書も担当していた。
ただ謝罪の気持ちが引き出せず、手紙を2,3通書かせたという。
しかし普通では、長文になるはずの手紙もどれも短く、お若い刑事さんは困ってみえた。
「手紙を書かす?」
私の先生達にお願いしたことと同じで、びっくりした。
遺族の親にここまでの気持ちにさせた学校に、誠意のなさを強く感じる。
そしてまた今、金曜のトラウマ弔問が学校によって消されようとしている。