怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月7日 2010年8月6日から始まった、金曜夕方の先生達とのノート交換

2011-08-07 09:30:13 | 学校に対して

事故後司法解剖され、土曜の夜にようやく自宅に帰れた娘に、翌日涙で謝りに来た先生達。



娘の死や救助された生徒達の入院、心に深い傷を負った多くの生徒達への対応、しかも、学校生活も元に戻していかねばならず、学校は大変だったであろう。

だが、
事故の6月18日で止まってしまった私達の生活。
毎日のように、娘に会いに来てくれる生徒さんもいた。


しかし、先生達の娘への対応や気持ちは、薄れてゆくばかり。

3ヵ月も学校に在籍できなかった娘。忘れられるのも無理ないか?

娘の命を奪った学校に対して、募ってゆく不信感。



それで私のトラウマにされてしまった金曜に、一人の先生でもいいので娘に会いに来て欲しい、娘のことを思って手紙を書いて来て欲しい、とお願いした。

そして始まった、その手紙を貼り付けた先生達とのノート交換。

それでも先生達の気持が信じられなくなり、先生達に、ノートを続ける署名、捺印をお願いした。



教頭からの答えは「義務になりますから!」と断られた。


「義務」教育の野外学習で、悪天候の中先生を信じ、

何の落ち度もなく、命を落とした私の娘




その頃、事故(事件?)担当の刑事さんに、調書用に娘の生い立ちの文も依頼されていた。
身を切るように辛い作業だったが、娘の思い出を書き出すと多くの枚数になっていった。

娘の生い立ちの文を取りにみえた刑事さんは、元校長の調書も担当していた。
ただ謝罪の気持ちが引き出せず、手紙を2,3通書かせたという。
しかし普通では、長文になるはずの手紙もどれも短く、お若い刑事さんは困ってみえた。

「手紙を書かす?」
私の先生達にお願いしたことと同じで、びっくりした。


遺族の親にここまでの気持ちにさせた学校に、誠意のなさを強く感じる。


そしてまた今、金曜のトラウマ弔問が学校によって消されようとしている。