怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月9日 事故の状況説明は2010年11月1日だった

2011-08-09 09:24:49 | 事故後の動き
元校長の遺族への配慮のない、メモだけの口頭説明
学校サイドからの不誠実な対応。
そうした苦い経験から、事故の状況は、
細江署にお願いしたり、静岡サイドや保護者の方からの情報で得るものだけだった。

正式な文書による時系列の事故状況が、私達遺族に届けられたのは、
事故から4カ月以上も過ぎ、
市議会に原因究明の署名活動をした後の、11月1日だった。

7月27日の市議会議事録で報告された、事故の時系列の状況は
市教委課長より、ようやく私達遺族に届けられた。

読んでいくと「母親の私が消防から連絡を受けた」とか、
先生達に現場に連れて行ってもらった「時刻」など、大きく異なる。
誰にこの情報を得たのだろう?
しかも市議会という、公式の場で既に報告されている。

私が一番聞きたくない、娘の死は細江署の部長からだけであり、
体の不自由な私は、何の連絡もない学校へ、自ら電話して連れて行ってもらった
「若い先生達に行かせる」と学校に言われ、待っていても来ない。
判りにくい土地といっても、近所には在校生が5人 前年の卒業生も2人いる。

一刻も早く
誰にも救ってもらえず、2時間半も湖中で行方不明にされた、娘の傍に行ってやりたい!


 「全員無事」と学校で聞かされ、現場に向う車内で、娘の死という私の連絡を受け、現場でひとり待つ主人に会いたい! 

         そんな私に時間だけが過ぎていく。

ようやくかかってきた先生からの電話は、「ナビを使用したら道がわからなくなった」というお粗末なもの。
何度も電話で道案内を重ね、明るい6月の夕方が大雨の中、
大勢のマスコミ、フラッシュの嵐を浴びるほど、
すでに外は暗くなっていた。

4月に学校に提出した、我が家までの間違いにくい通学路の地図は?

集まった保護者から学校が聞いたという我が家の電話番号も、4月に一緒に提出しているはずだ


         私の学校への大きな不信感の始まりだった。