そぞろ歩き 2

彩の国を中心に、身近な自然や歴史あるいは文化的スポットを訪ね、その魅力を写真等でご案内。

室町時代創設の京都・仁和寺の末寺“遍照院”(埼玉・上尾市)

2012年08月12日 | Weblog

本堂 全景

 上尾の古刹“遍照院”は、室町時代の応永元年(1394年)の開山で、御本尊は大聖不動明王(だいしょうふどうみょうおう)。
 上尾市教育委員会のH.P(抜粋)によると、
 上町一丁目に所在する遍照院は、江戸時代には寺領20石の朱印地を与えられた大寺である。市内には幕府から御朱印を与えられた寺院は多いが、20石は最高の石高である。同寺は真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)の寺院で日常山秀善寺と号するが、『新編武蔵風土記稿』によると、京都御室(おむろ)の仁和寺(にんなじ)の末寺となっている。同書によると、開山(かいさん)の阿順法印は応永9(1402)年に没しているので、すでに室町時代の初めには創設されていたことになる。ところで同書には建治・応安・永享・文明などの古碑があると記されているが、「建治」の年号は鎌倉時代末期のものなので、同寺の創設はもう少し古い時代に関係するとも考えられる。現在これらの古碑は確認することができないが、それでも宝篋印塔(ほうきょういんとう)の中には「康応元年」(1389)の年号も読み取ることができ、南北朝時代に何らかの関係があったことをうかがわせる。
 天保9(1838)年の村絵図では、同寺は広大な境内地を持ち、参道は旧中山道から山門に直進する形で描かれている。旧中山道には家並みが記されているが、この辺りは上尾宿と上尾村の地が、牙のように交互に入り組んでおり、遍照院は上尾村分である。文政11(1828)年の記録によると、上尾村分には42軒の商家・旅籠屋などが見られるが、遍照院門前にも多くの商家があり、中には当時から現在なお営業している豆腐店などもある。
 遍照院の本尊は不動明王で江戸時代の作であるが、木造毘沙門天(びしゃもんてん)立像(りゅうぞう)の制作年は古く鎌倉時代末から南北朝期と推定される。この像の厨子(ずし)扉内側にある朱字銘には、「岩槻城主大岡越前守忠正公守本尊」とあり、由緒のある立像であることを伝えている。
 墓地の中央最北端には歴代住職の墓石が並ぶが、その近くに市指定文化財(史跡)の山崎武平治碩茂(ぶへいじせきも)の墓がある。また近くには「孝女お玉の墓」もあり、旧中山道の宿場でにぎわった往時の一面ものぞかせてくれる。
  遍照院公式ホームページ   
駐車場:有(無料)
 

 
どうどうの山門と山崎武平治碩茂の墓の史跡案内

 
鐘楼と薬師堂

 
本堂と弘法大師像

 遍照院 地図
(「地図」もしくは「ユーザ地図」をクリックすると大きい地図にジャンプします)