境内にある吉見町の案内によるとによると、
毘沙門堂は、大串山金蔵院と言い修験の寺で、本尊は行基の作といわれる毘沙門天の立像である。
毘沙門天は、武勇の神であり、武将大串次郎重親はこれをあつく信仰し、この地に寺を建立したと伝えられる。
この寺は、もとは七堂伽藍が備わった立派な寺であったが、天文年中(1546年頃)北条、太田両氏の松山城争奪戦に遭って喪失してしまった。現在のお堂は、後に建てられたものである。
毘沙門堂の西方70mの畑の中にある塔を宝篋印塔といい、高さ1.9mあり、九輪の上部は欠損しているが、他は完全で関東地方では整った美しさをもつ優秀な塔の一つであり、埼玉県指定史跡となっている。
なお、この塔は、源平の昔、有名な宇治川の合戦の折、畠山重忠と先陣を争った大串次郎重親の墓と伝えられている。
また、山門の左側にあって「応安六年(1373年)」の銘がある金蔵院宝篋印塔は、四隅に突起のある笠と、真四角の塔身が二つずつあることからニ重式宝篋印塔と呼ばれ、現在では笠の四隅にあった突起に欠損個所が見られる。こちらの塔も埼玉県指定史跡となっている。
金蔵院宝篋印塔の案内(画像をクリックしますと拡大します)
吉見町観光案内 駐車場:若干有り(無料)
金蔵院宝篋印塔の案内と板碑(画像をクリックしますと拡大します) 毘沙門堂山門
大串次郎重親の墓と伝えられ宝篋印塔(右画像をクリックしますと拡大します)
金蔵院宝篋印塔(右画像をクリックしますと拡大します)
「金蔵院」付近 地図
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