見事に咲いた千代桜
円乗院沿革によると、
当院は、安養山西念寺円乗院と号し、建久年間(1190~1199)畠山重忠によって、道場村(今は浦和市の一部)に創建されたものであるが、慶長年間(1596~1615)に当地に移建したと伝える。中興の僧賢明上人は元和5年(1619)に没し、当院に葬られた。これより先、慶長19年(1614)、徳川二代将軍秀忠公の時、道場村に寺領15石の御朱印状を受け、その後代々変わることなく明治4年まで続いた。
当院は延宝6年(1678)5月16日、京都仁和寺の直末寺となり、寛延2年(1749)11月談林格に昇格して、当地方新義真言宗の重鎮となった。幕末与野領23ヶ町村の中に、寺院が38ヶ所あったが、そのうち23ヶ寺は円乗院末寺であった。数度にわたり当院は火災に見舞われ、その昔八代将軍吉宗公がまだ紀伊の殿様であった時にお泊まりになられた紀伊屋敷を初めとして、由緒深い堂宇・古記録・宝物等多数を焼失して一時は苦難の時代もあったが、新義真言の法灯は、いささかも揺らぐことなく今日の隆盛を来している。
と、記されている。
円乗院公式ホームページ 駐車場:有り
仁王門と多宝塔(弘法大師が1150年御遠忌記念事業としてこの大塔を建立)
仁王門、大黒天(与野七福神)と如来堂
千代桜(樹齢約300年、周囲に張り出した小枝が長く垂れ下がり、地面に接するほどもある)
円乗院 地図
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