サンシュユの丘シリーズも、今回が最終回です。
ところで、この丘は古代寺院の山田寺が建っていたすぐ近くにあります。ちょっと歴史を振り返ってみましょう。
山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建てられたお寺です。石川麻呂は蘇我氏の一族ですが、乙巳の変では中大兄皇子に加担しました。
山田寺には丈六の仏像がありました。(丈六とは仏像の身長のことで、立像は約4.8メートルもあります。)
奈良の興福寺に国宝に指定されている仏頭がありますが、その仏頭こそ山田寺にあった仏像の頭部なんですよ。
記録によると、1187年に興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、薬師三尊像を興福寺に持ち去ったそうです
その後、興福寺も平重衡に焼かれてしまいました。その時に仏頭だけが焼け残ったそうですが、その後、昭和12年に再発見されるまで、世間からは忘れられていました。
下に見えるのが山田寺跡です。そんな歴史を見守ってきたのがサンシュユの丘でした。おしまい。
※訪問日 2019.3.24
ところで、この丘は古代寺院の山田寺が建っていたすぐ近くにあります。ちょっと歴史を振り返ってみましょう。
山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建てられたお寺です。石川麻呂は蘇我氏の一族ですが、乙巳の変では中大兄皇子に加担しました。
山田寺には丈六の仏像がありました。(丈六とは仏像の身長のことで、立像は約4.8メートルもあります。)
奈良の興福寺に国宝に指定されている仏頭がありますが、その仏頭こそ山田寺にあった仏像の頭部なんですよ。
記録によると、1187年に興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、薬師三尊像を興福寺に持ち去ったそうです
その後、興福寺も平重衡に焼かれてしまいました。その時に仏頭だけが焼け残ったそうですが、その後、昭和12年に再発見されるまで、世間からは忘れられていました。
下に見えるのが山田寺跡です。そんな歴史を見守ってきたのがサンシュユの丘でした。おしまい。
※訪問日 2019.3.24