はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

思い出のスイス(5)

2021-05-10 19:15:15 | 海外の旅
クライネ・シャイデックから見上げるアイガー北壁です。





クライネ・シャイデックでは、ぜひ行きたい所がありました。それは新田次郎の記念碑です。新田次郎は山を愛した作家です。
代表作も多く『孤高の人』『槍ヶ岳開山』『剱岳・点の記』などなど、どの作品にも思い入れがあります。
とくに『孤高の人』は、高校生の時に雑誌「山と渓谷」に連載されていたのをワクワクしながら読んだものです。




この日は午前中はユングフラウヨッホ観光でした。午後は自由行動だったので、憧れのグリンデルワルトに登山電車で向かいました。車中からのアイガー北壁です。




見えている山稜はミッテルレギ山稜です。ここは、1921年に日本人の槇有恒がグリンデルワルトのガイドとともに初登頂(ミッテルレギ山稜から)したことで知られます。
最近では「世界の果てまでイッテQ」でイモトが登ったルートです。




グリンデルワルトの写真はこれだけです。ホテルのテラスでアイガーを眺めながらビールを飲んだと思います。




グリンデルワルトからクライネ・シャイデックに戻る車中から。やはりアイガー北壁が気になります。




アイガー北壁は「死の壁」とも呼ばれ、これまで多くの登山者の命をのみ込んできました。
この壁が初めて登攀されたのは1938年のことです。日本人として初めて登攀したのは高田光政で1965年のことでした。その著書『北壁の青春』(1968)はいまも本棚にあります。




クライネ・シャイデックに戻ってきました。アイガー北壁の天候は不安定で有名ですが、まさにその通りです。




高さ1800メートルの岩壁です。あそこが「死のビバーク」で、あそこが「白い蜘蛛」かと、自分が登るがの如くルートを確認しながら見上げました。




時間があれば、こんなハイキング道も歩いてみたかったです。




クライネ・シャイデックも良い所でした。




モンベルの創業者で現会長の辰野勇もアイガー北壁の登攀者の一人です。1969年に当時としては最年少の21歳という若さでの登攀でした。
その経験が今のモンベルの製品に生かされているのでしょうか。




今回のスイス旅行の一番の楽しみだったアイガー北壁を楽しむことができました。いつまでも目に焼き付けておきたい景色です。




※訪問日 2000.8.21


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4 コメント

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こんばんは* (ラパン)
2021-05-10 20:19:09
はりさん、こんばんは*
今回はスイス旅楽しませていただいてますよ♪( ´▽`)
奥様と一緒、とっても素敵な思い出ですね
子供の頃、兄がジグソーパズルが好きでスイスも飾ってありました。
懐かしい景色です*
このあとも楽しみにしています♪
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Unknown (はりさん)
2021-05-10 21:04:07
ラパンさん
こんばんは。
古くてセピアっぽい写真ばかりですが
スイス旅を楽しんでいただいて嬉しいです。
スイスの山の風景は素晴らしくて
ジグソーパズルの絵柄にはぴったりですね。
懐かしい風景も登場したでしょうか。
コメントありがとうございます。
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Unknown (takayan)
2021-05-11 06:06:56
おはようございます。
毎回すばらしい風景が続きますね。
最後から2枚目のアイガーと赤い屋根の風景は観光パンフにもなりそうな景色です。
1枚1枚がお二人にとって忘れられない風景ですね。
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Unknown (はりさん)
2021-05-11 08:45:12
takayanさん
おはようございます。
この旅にはコンパクトなフィルムカメラ36枚どり
6本を使いました。(全216枚ということですね。)
今ならマッターホルンだけで200枚を超えそうですが(笑)
当時は写真に興味がなく記念撮影中心だったのですが
今となればせっかくの絶景をもったいないことをしたものです。
それでも大切な宝物にちがいはありませんね。
いつもありがとうございます。
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