はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

名残の桜をたずねて

2015-04-11 17:01:09 | 寺社めぐり
我が芭蕉さんは、大の西行さんファンでした。西行さんは、「西行といえば桜」というほど桜の歌をたくさん作っています。とくに吉野では、桜に囲まれて3年間を過ごしています。芭蕉さんも、西行さんを追いかけて、吉野に入りました。
この時期、西行さんや芭蕉さんを追っかけるなら、吉野に行くのが一番なのですが、きっと車と人で、大変なことになっていそうなので、あえて、引川寺に名残の桜を見に行くことにしました。(引川寺は西行さん入寂の地です。)

引川寺は、葛城山の山麓にあり、まだ少しぐらい桜も残っているかと期待していましたが、残念ながら葉桜でした。


西行さんの墳墓がある丘へは、本堂の横から階段を登っていきます。すぐに、西行堂というお堂があります。林の中にひっそりと佇んでいる姿は、西行さんの終焉の地としてふさわしい感じです。


さらに、静寂な道を進んで行きます。吉野では、こんな風景には出会えなかったことでしょう。


やがて、丘の上にある西行墳に着きました。残念ながら、ここも桜は散りそめしでした。


有名な「ねがはくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」の歌碑も立っています。


この歌は、死の直前に歌ったものではなく、数年前に作られたものだそうです。西行さんの亡くなったのは1190年のことです。その5年前に、平家は壇ノ浦で滅びました。もと北面の武士であった西行さん(佐藤義清:さとうのりきよ)は、平清盛とも同僚でした。そして、1140年23歳で出家して後、保元、平治の乱、源平の戦いと、まさに激動の時代を間近に見ながら生きた人でもあるのです。西行さんの歌の無常観はこのあたりからきているのでしょうか。(和歌の世界は、ほとんど知らない素人の意見ですが。)

今回は、桜は散った後でしたが、3年前に訪れた時には、花盛りの引川寺でした。西行さんも、こんな風景を眺めていたのでしょうか。

(2012.4.15)

(2012.4.15)





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