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旧ブログ(釣って釣られて)

釣り好きオヤジが言いたい放題、独断と偏見で綴るひとり言でごぜーます。

いざ!鯨の町へ

2011-09-04 03:54:20 | ひとりごと
山を降り、しばらく走ると道路沿いに鯨のモニュメントが見えた。






「おお~、ついに来たね~」と感慨深い気持ちになる。


実はここを訪れるのは初めてで、いつか来たいと思っていたところだけど、近すぎてチャンスが無かったのと、


大人になってからは「もっと賑やかで有名な観光地」ばかりに出かけていた。


小学生のころ習った歴史に出てきた「太地」と「くじら」に行ってみたいと思ってから30年以上…。


何となく心がウキウキする。


そんな気持ちを知ってか知らずか、教科書の写真通りの大きな壁が出迎えてくれた。




「くじらの博物館」




中では骨格標本や、実物大の模型…、博物館らしく、ホルマリン漬けの標本の数々。







捕鯨の歴史や、古式捕鯨に関する展示品など…。


古き良き時代の「遺物」が並んでいた。






決して「遺物」にはしたくないが、クジラを食べる風習も、この先どんどん減少するのは間違いのない事実だろうし、


商業捕鯨が再開される見通しは今のところ、ない。




太地のクジラ漁が終わった理由がコレ。


背美流れ…、


1878年、12月24日、太地の沖に未だかつてない大きなセミクジラの親子が現れ、


駆けつけた漁師たちは、全力を挙げ、網をかけ捕まえたが、なかなか死ななかった。


翌朝10時半頃、沖合20kmの付近でようやく死んだが、西風が強く、潮も激しく、太平洋の真っ只中に向けて流された。


途中、網を切り、鯨をあきらめるが、夜になりますます強まった西風になすすべもなく大遭難となった…。


この、のちに「背美流れ」と呼ばれる大遭難によって100名以上の漁師を一度になくした「太地鯨組」は、


その2年後、復興果たすことなく終焉を迎えた…。



そして、世界中の鯨を乱獲し、絶滅の危機に追いやったのは、日本じゃない。




アメリカは巨大な捕鯨船を作り、燃料として鯨を乱獲していた。



そんな事実、今の子供は知っているのか?


てか、興味あるんだろうか?


色々考えさせられながら表に出ると、そこでは鯨のショーが行われていた。





結構な人出。



「右は大きな身体のオキゴンドウ、力いっぱいジャンプしてくれました~」とアナウンスのお姉さん。


その後に「とっても美味しいんですよ~♪」とつけて欲しかった…。







呼べば寄ってくるし、可愛い事に違いはない。




そりゃ~、賢いのかもしれないけど、それが食べたらアカン理由にはならんやろ…。


鯨のお肉の給食で育ったオイラは、無性に鯨が食べたくなる時がある。


高級な尾の身やハリハリじゃなく、赤身の血の匂いのする固い肉…。


そんな肉を食べたらアカンと、よその国の人に言われてなんで黙ってられる?


  おら~、捕まえて喰ったろか~!


てな事で、このあと旅行の最大の目的を遂行するため、太地漁協に向かった。






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