Cocomademoiselleココ・マドモアゼル

ビスクドールの制作日記 人形制作する私の紆余曲折しつつも飾り付けない素顔の毎日をご覧下さい

母の愛し方

2008年11月03日 | ♥ 私の思う事

 先日、高校時代の友達との集まりがあって夫婦の問題で悩んでいる友達の話しを聞いて我が家族にも振り返って思った事がありました。以前よりダイアリーでお話ししてきたうちの傲慢な父。父の傲慢で勝手な部分に私も本当に親子の縁を切りたいと思った事が何度もありました。親子の縁は切れずとも夫婦は他人。母には今までに何度も離婚をするように勧めてきました。私は、傲慢な父に耐える母の愚痴に聞く耳も持たず、父と母が離婚したら自分も父と縁が切れる・・・・と何度も勧めた次第です。ただ愚痴るだけで我慢する母に苛立って、白黒をはっきりさせなければ気がすまない私は、母を代弁して父と揉めた事も何度もありました。母が「離婚」する事が出来ないのは、二十歳で結婚して世間知らず。その母が離婚後に「自立」した生活をする自信が無いからだと私なりに解釈していました。それが今年になって、父が長く営業していた「店」を閉めて以来、父と過ごす時間が今までに無いほど増えてようやく家族の実感を得られるようになって私は感じました。母が離婚を渋っていたのは、「自立」出来ないからではなくて、父に対して本当に「愛情」があるからだと。もしかしたらそれは、長年一緒にいた父への「執着」かもしれないけれど。黙って一緒にいる、何があっても離れない・・・それが母の父への愛情表現だったのだと感じたのです。今まで何度も「離婚」を勧めた私ですが、母に対してもう「離婚」を口にする事は無いでしょう。母が父との人生を添い遂げるつもりでいる以上、私も父と母の二人を私の出来る限りで見守っていくつもりです。

今まで散々父の勝手さと傲慢な部分に泣かされてきたけれど、どうしても心底まで憎みきれなかったのは「他人を想う暖かい心」を持っているから。傲慢で勝手な人でなくて、その部分だけを表に出せたらこんないい人はいない・・・・と思う父です。思い返せば、母だけでなく私自身も本当に寂しい思いをしてきましたが、父のその部分があるから家族でいられたのだと思います。

店をやめた5月以来、初めてCocoちゃんの散歩に行き、初めて私の運転する車に乗り、初めて娘の住む部屋を訪ね、初めて親子は回転寿司に出掛け、初めて一緒に誕生日を祝い、今までは家族での夕食は一年に3日ぐらいだったのに初めて毎日の夕飯を一緒に過ごし・・・・・・やる事為す事、初めてばかりの事だらけです。まだまだ脂ぎって(笑)傲慢さを振り撒いていますが、父も年をかさね老いていくのは確実です。父娘は、色々あったけれど母の愛情を知った今、今度は娘の愛情を父に知らしめる!・・・・・そんな気持で私はいます。

きっと今はまだ、父はそんな娘の気持には気が付いていないけれど、あと何年あるのか父の人生の終焉までにそこに気がつく事が出来れば父の人生は意義のある豊かな人生だったと思えると感じています。何度もバラバラになりかけた家族ですが、最後にそこに気がついてくれたら私が父の娘として生まれてきた役割を果たせるようにも思います。

・・・・っと、そんな事を感じた今日この頃。私の思うところを先日のお友達にも少し話してみたくなりました。

今日も元気にCocoちゃんと散歩に出かける父。父に朝晩の散歩役を取られた私と母は、体脂肪が3パーセントも増えビックリ!

益々、元気になっていく父なのです(笑)。

               

        

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元気でいてくれる事が親孝行ならぬ「子孝行」かな?!

父ちゃ~ん!娘はちゃんと親の後ろ姿を見て育っているぞよ♪♪