太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

森失言

2021-02-09 08:07:46 | 社会観察
 五輪組織委員会の森会長が性差別発言で物議を醸している。元々失言の多い人だからさもありなんと思うが海外からのバッシングを含めてバズって(初めて使う用語)いる。もっとも対外的には失言だろうが自身では思っていた事を口にしたから失言とは思っていないだろう。おそらく辞めざるを得ないのだろうが発言を巡り、過去にスポーツ界に大きな功績を残したと擁護発言する人がいるのは驚いた。何事もなく円満辞職した場合には過去に思いを巡らせるのも良いだろうが問題発言に対する意見としては大変な筋違いだ。芥川龍之介の子供向け文学作品の「蜘蛛の糸」に出て来るお釈迦様は地獄に落ちた大悪人カンダタがかって蜘蛛を助けたことから救いの蜘蛛の糸を垂らす。過去を相殺してくれるのだ。ところがカンダタが下を見ると地獄の亡者たちが次々糸を伝って這い上ってくる。カンダタはこのままでは糸が切れてしまい自分諸共再び地獄に落ちてしまう。離せこの糸は俺のものだと叫んだ途端糸は切れて再び地獄に落ちるという釈迦の慈悲と人のエゴイズムを描いた作品だ。子供心にお釈迦様は何と優しいのだろうと思いそれからは危うく蟻や蜘蛛を踏みつけそうになるとおっとッとと避ける習慣が初老の今で身に付いている。人間のエゴについに思いを馳せるようになったのは相当後のことである。
 今再び思い起こすと蜘蛛を助けたという過去の功績があれば失言(エゴ)が帳消しになるかというとそうではない。功績と失言を同時に論じるならば功績があれば少々の失敗は許されることになり道徳にも使われた児童文学のその意図は生かされない。この類の発言は意外と世の中に溢れている。直近ではゴーン氏だろう。世間を騒がせた責任をとって辞任するとなれば退職の条件に過去の功績で少しは色をつけることもあるかも知れないがこれは違う。もっと深刻なのは周辺からは何の意見も出ないことだろう。余程恩義を感じているか職に留まった時の仕返しを怖れてのことだろうが。功績と失言をごちゃ混ぜにして論じるのは度々登場する「元」何とかの人達である(脳ミソの筋肉化と書いたか)。
 コロナの後はオリンピック問題だろうとブログに書いたが思わぬ方向から火の手が上がった。個人的には森さんに踏ん張って貰って様々な話題を提供して欲しいところだが世間は許すまい。モノ言えば唇寒し春の風、か。コロナは何となく収束に向かってきた。ここで政策が功を奏したとコメンテーターは思い切りヨイショするだろうが止めた方が良い。もし第4波が来たら(来るだろう)その時に言う事が無くなる。静かにじっと耐えて過ぎ去るのを待つ。


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