一度似たようなことを書いたことがあるかも知れないが、掲題の見出しで1、2面に東大名誉教授が考え?解説記事を掲載した。氏は政治や歴史に造詣が深く、安全保障論、憲法論でも度々顔を出す著名人である。出身地を見ると私と変わらない山猿時代を過ごしたと思われるがその後の進化で大いに差がついたように思う。こちらは未だにナックル歩行くらいまでだろうか。個人的には常に上から人を見下したような物言いが好きではないがこれは趣味の問題である。記事の内容は一見正論に見える。
しかし、どうしても北朝鮮という特定の国をイメージして論理展開しているようにしか読めない。果たして敵基地攻撃能力の程度や是非を語るとき、只今現在の国際関係や敵味方論だけで憲法や法律などのある意味普遍的なものの在り方に演繹して行くのはどうかと思う。特定の国を想定するなら、そういう条件をつけて論じるべきである。それを敵基地攻撃能力として普遍的なものにするなら、どの国が対象であっても当てはまらないといけない。今日の味方も明日は分からない。例えば中南米の何処かの国が日本に敵意むき出しで軍事挑発を繰り返したとする。日本はICBMを開発して攻撃能力を備えるという場合でも当てはまらなければならない。
ICBMなど作らなくとも同盟国であるアメリカが叩くからと止められる場合はそのICBMがアメリカ本土にも到達するリスクがあるからである。北朝鮮ならどうだろう。同じ様に叩こうと思えばアメリカはできるはずである。でも言わないだろう。特定の国をイメージさせてあれもこれもと言うよりもっと具体的に挙げて対処法を論ずれば良い。そんなことをすれば関係をさらに悪化させるだけと反論されるだろうが、イメージだけでは軍拡に歯止めが掛らない。
関係を悪化させない方法はある。今の日本の立場はこういう前提に立っている、この条件がクリアーされれば対処法は自ずと変わってくる。何処の国とも良好な関係を築くことが本来の日本の立場である。その証拠に現在の私の仕事は国際援助を旨としており、こういう状態になればこう言う事も出来ると言えば良い。何処かの大臣が立法の人間であり行政の不始末まで責任を負う必要はないという主旨の発言をしたことに似ている。東大名誉教授と言う立場からこう言う、職責とは別といった使い分けは納得できない。もし、氏が現在の職責から見た安全保障、敵基地攻撃能力について論じるなら熟読し、好き嫌いまでもが変わってくるかも知れない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます