太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

暑さ以外に話題無し

2018-08-02 08:02:13 | 日記

朝の8時だが卓上の気のンは31.6℃、湿度65%である。こんな時はTV映画やドラマでもどんどん厳冬の景色があるものを映して欲しいものである。凍てつくシベリアとか吹雪のヒマラヤとか、ダウンジャケットに身を包んだ若い男女が雪の舞う湖畔の並木を歩いている姿とか。暑い浮世を忘れさせる何かが必要である。

社会人のスタートは最初の3ヶ月は夏物商品を製造する工場での実習である。ベルトコンベアに並ばされて流れて来る冷蔵庫やクーラーに部品を取り付ける作業だ。ちょっと作業が遅れるとどんどん川下に流されて元の位置に戻るまでは相当な勢いで作業しなければならない。どうしても戻れない場合は声を出してラインに入っていない監督に応援を求める。その日の配置は監督が決める。最もきつい仕事は冷蔵庫の断熱材、グラスウールみたいだったが、を外壁に埋め込む作業である。体中がチクチクする。次はクーラーの室外機にコンプレッサーを載せる仕事である。これは数をこなすと相当重い。監督の脅しは断熱材かコンプレッサー担当に回すぞというものである。余程のことが無ければそれらは専任の人がやっている。皆本所属は研究所であったり技術部門で、工場実習は同じ会社でもこんなにきつい仕事もあるのだという教訓とのこと。確かに本所属の太陽電池に戻った時、あの工場実習に比べれば肉体的には辛いと思ったことはない。

続けての3ヶ月は家電メーカーだったので系列の販売店への応援である。夏物商品それぞれが大小様々な店に派遣される。会社としては系列店へのサービスである。スーパーマーケットにある小さな販売店に配属された。主な仕事はエアコン取り付け工事の助手である。工事の無い日は店番である。スーパーと言っても小さな個人商店が入っており、店番をしていても買いに来る客はライバル会社のブランド乾電池くらいで置いてないし偶に扇風機が売れるくらい。斜め向かいに揚げ物屋があり暑い夏でも長袖を着た若い兄ちゃんが天ぷらを揚げている。油の飛び散りがあるので長袖も大変だと思っていた。この兄ちゃんと何かの拍子に仲良くなり、昼飯食べにおいでよと誘われた。近くのアパートに家族と住んでいる。家に入ると長袖を脱いだが、手首近くまで見事な刺青が入っている。昔ヤンチャの頃に意気がって入れたが客商売では怖がられるからねえという。長袖の理由はこれだった。若い奥さんはニコニコしながら聴いていたが大変な美人で冷やし中華を上手に作ってくれた。赤ん坊もすこぶる可愛い顔をしている。

工事は軽トラに乗って出掛ける。ベテランの店員が運転する。途中色んな世間話をするが、天ぷらやどころではないとんでも無いヤンチャな生活をしていたようだ、それでも客先の受けは良く、大概の客先で昼飯が出された。クーラーは比較的金持ちが設置する。室外機へダクトを通すために壁に穴をあけなければならないが思いの他室内の土壁に大きな穴が開いてしまい、補修の土を買いに良く行かされた。それでも客はいよいよ我が家にもクーラーかと満足した。本当は他メーカーに比べて明らかに冷房能力は差があった。三菱や日立、松下にも勝てなかった。

大阪の下町だったので棟割長屋が多かった。風も通らない奥まった家では暑さや湿気は尋常ではない。クーラーを買うほどの余裕の無い家庭にウィンドファンという商品が良く売れた。半開きにした窓に中型のサーバーくらいの結構重い製品を設置する。上部の窓の隙間は仮設板で塞いでしまう。しかしこの商品に冷房能力は無い。広間暖まった室内の空気を排気し、夜の冷気を室内に取り込む言わば換気扇である。屋外の湿度が高い時はかえって室内を蒸し暑くしてしまう。この商品を思いついた奴も凄いが、効能を澱みなく説明する店員もさすがである。金持ちはクーラーを、貧乏人は換気扇をという時代であった。扇風機を窓際に置いて風を送っている在宅初老はやはり貧乏人の部類なんだろう。書き終わったら1℃上がった。



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