太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

こんな時に言うか

2018-07-13 09:53:07 | 社会観察

今日から夏休み前の3連休である。猛暑が予想されているが子供達にとってはこの上無く楽しみな夏休みの予告編である。しかし、今回西日本豪雨で被災された方々は後片付けや今後の生活のことで大変な夏である。子供達も避難生活やら後片付けの手伝いで夏休みどころではないだろう。特に亡くなられた方々の家族や関係者はこれから先ずっと思い出さずにはいられない悲しい夏の想い出でとなってしまった。8月だったか、御巣鷹山で墜落した日航機の犠牲者の家族の方々が、夏になるたびに思い出さずにはいられない事故の記憶と同じように一生残る哀しい夏の記憶である。

そんな中、派閥の会合でとんでもない発言があった。自民の石原伸晃議員が「旧民主党のコンクリートから人へという公共事業政策は間違っていた」と言い、細田氏も八ツ場ダムの対応問題で批判したという。こんな時に被災を引きあいに出して旧政権を批判する神経が理解できない。横のネットニュースでは12日広島で砂防ダムが大規模に決壊したとある。コンクリートから人へと言うのはスローガンである当時はグリーンピア事業で無駄な箱モノが年金を食い物にして次々建設された後である。無駄な公共事業はしないという反省の上でのスローガンだったはずだ。治水に関しては有用、無用の判断は難しい。今回の豪雨被害が公共事業を疎かにした結果と受け取ったり、あるいは今さら旧政権の批判とは恐れ入る。例えば立派な堤防を築いたとしても高過ぎて無用の長物と言われるか、それでも堤防を超えてしまえばやはり無駄な工事だったと言われてしまう。あの公共事業があったから災害が防げたというのは検証もされないしニュースにもならない。

堤防と言えば釣りに出掛ける河口周辺の嵩上げ堤防は不思議である。河口からかなりの奥まで立派なコンクリートの壁が出来あがった。東日本大震災の教訓からだろうが、この堤防は一体どこから来る水を防ぐのだろうか。河は平地を流れて来ており、上流にも急峻な山は一切無く上流から土石流が流れることはない。川の流れは海の干満で方向が変わるくらいである。田園地帯の間を縫う用水路のようなものである。もし津波が来たら河口周辺の嵩上げ堤防がより上流へと水を逆流させてしまう。そのそも河口周辺に民家は少なく、同じ海岸に面した海抜1mくらいの場所に相当民家が建っている。勿論海岸沿いは何十キロも海に面しているが殆ど堤防は無い。地元の釣り仲間からも、一体何から護る堤防かよう分からんと言うと同じく釣りに来ていた下請けした地元工事業者が、そう言うなよ長い工事で儲けさせてもらったんだからと言う。釣り仲間じゃなかったら喧嘩になっていた。

石原親子の言動はいつも人智を超えている。大災害も人智を超えたところで起こるが、人智を超えた考えを持った人がこうすべきだと提言されたらどうか。無駄と言われようが防災の為にはどんどんコンクリートを使うべきと言う方が納得できる。箱モノに懲りて膾を吹く野党であってもいけない。