太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

こんなことしていて良いのだろうか

2018-07-09 08:10:07 | 日記

昨日は久し振りに晴れたので釣りに出掛けた。生まれ故郷の直ぐ近くが大洪水に見舞われ多くの人が取り残されているのに、である。釣りなどで遊ぶなんてと後ろめたい気もしていた。何日も家で過ごしたので気分転換のつもりだった。ところがイザ釣り始めても身が入らない。確か東北の大震災の後も何をするのも気が引けた。だからと言って何か出来る事があるかと言うと思いつかない。そう言えば氾濫した川は大雨の後、濁流となった川にギギを釣りに連れて行って貰ったことがある。多分珍しい魚だったからだろう。こちらはあまりに小さい頃なので藪の陰に座って釣りを見ているだけである。何で連れて行ってくれたのかは覚えていない。夏にはガキ大将に連れられてヤスで魚を突きに行った。勿論満足に泳げる歳でもなかったので浅瀬の岩陰を水中眼鏡で覘く。ヤスは自転車のスポークの先を尖らせ、少し返しを切り込む。根元はLの字に曲げる。竹筒にこれも自転車のチューブの切れ端を縛りつけLの字のところを引っ掛け思い切り引く。手作りの水中銃である。私はまだ小さくてゴムが引っ張れないのと危ないという理由で使わせて貰えなかった。大きくなったらきっとうなぎでも何でも突いて捕まえてやると思っていた。溺れて寸でのところでガキ大将に助けられたのもこの川であり、幼稚園の同級生が実際に溺れて亡くなったのもこの氾濫した川である。

釣りの方は期待もしていなかったのに20㎝強のクロダイが釣れてしまった。糸を投げたら突然バクッと来た。アタリもクソも無い。クロダイは落ちて来る餌の小蟹に喰らいつく。1年振りである。釣った魚は命を貰ってしまうので食べてあげなければならないという信念があり普段なら持ちかえる。しかし、ちょっと小さいことと、上手く口に針がかりしたので魚は元気だったのでリリースしてやった。裏には幾らなんでも今日は殺生はまずいという気持ちがあった。それなら餌にする浜で獲ったカニはどうなんだ、あれも生きものだ。これも、申し訳ないと残ったモノは海に帰してやったから許して貰いたい。家に帰ると洪水に見舞われた川の近くの町では取り残された人千数百人が無事救出されたとのニュースがあった。それなら塩焼きにして食べても良かったとちょっと思った。

伝説や言い伝えは比較的信じる方である。古い本であるがゴルボフスキーの「失われた文明」は大変興味深かった。例えば世界各地にある空を舞う火を吹くドラゴンの伝説は何も中国発ではない。稲妻による天災に見舞われた地で同じ様な想像がなされたとか、小鳥が小枝を加えた紋章も世界各地にあり、ノアの箱舟発ではない。実際に大洪水に見舞われた世界各地で小枝を加えた小鳥を見て陸が近い事を知った、つまりノアの大洪水は本当に世界規模であったと考えざるを得ないとか。天変地異の様々な出来ごとが元になって色々な伝説が生まれてきたということを世界各地に遺跡や伝承から探るという著である。良い物は良い、悪い物は悪い、やってはいけない事などは多くは母親から教えられている。母親だって経験したことではなくその親から理屈抜きで伝えられたことだろう。ずぅーと辿って行くと何かの事実、真実に突きあたるのだろう。取敢えず無用の殺生はダメということは信じて守っているつもりである。