ネルソン・シャンクス
凡庸な顔をした男が、神のような衣装を着ている。猿が化けた仏ほどではないが、どこかいかがわしい。
地球上の全霊を救えるほどの高い聖者でない限り、こんな衣装は似合わないのだ。
天国の鍵を持っている聖者とは、人間存在のすべての魂を救う方法を知っていなければならないのである。
それは人間には無理だ。
ヨハネ・パウロ二世自身はそれほど悪い人間ではないが、本人は今この絵を見たら恥ずかしく思うだろう。彼もまた人間であり、救いの対象であるからだ。
本当の自分というものがどういうものであるかを、確実につかんだものではない限り、人間を救うことはできない。そして未だ、その段階に上れた人類はひとりもいないのである。
解脱の段階にようやく達した人間がわずかにいるくらいだ。
何もわからない無明の闇の時代に、人間は平気でこういうことをしていたのだ。
後々の人間はこれを、実に苦い気持ちで見ることだろう。
野の月の清きよこがほ
とほくみて
あれになりたやなりたやあれに
しげくかよひて野の月を
くるほしく見てさまよひぬ
あれになりたやなりたやあれに
凡庸の身をも忘れて苦き身を
掻き捨てて着る
くはしめのかほ
あれになりたやなりたやあれに
浅茅が宿にひとり住む
細月のごとはかなくて
罪なききよき白鶴の
あれになりたやなりたやあれに
泥玉に糞をまぜては投げつけて
月を落とさむ
なりたやあれに
唐紙を切りてなしにし細月の
かたをまとひてなりたやあれに
あれになりたやなりたやあれに
たれ知らぬ野にひとりゐて
花にほほゑむしらつゆの
玉と照る身のうるはしき
あれになりたやなりたやあれに
しらたまのまなこもほほも
ぬばたまの
すぐなるかみもわがものに
おのが罪など忘れ果て
あれになりたやなりたやあれに
何が本当に正しいことなのか
教える術を私は持たない
人の魂は自ら生きてその経験を食べ
大きくなっていくものだから
たくさんの行動をし
たくさんの失敗をし
たくさんのことを学びなさい
泣くことも笑うことも
迷うことも転ぶことも
憎むことも愛することも
力いっぱいやりなさい
空が あなたの叫びを吸い込んでくれるだろう
土が あなたの涙を受け止めてくれるだろう
人が あなたの心を導いてくれるだろう
おそれずに
生きることにぶつかっていきなさい
失敗の多いことよりも
怠惰なことの方が
ずっと恥ずかしいことなのだから
(2008年ごろ)