世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

埋蔵経

2018-01-24 04:16:18 | 月夜の考古学・第3館

沈黙する群青の虚空に
さながら銀の杓子のように
重たげな己の陰影を
すくいあげる二日の月

眠っている獣の背のような峰々が
現世と虚空を柔らかに分けていた
僧侶は峰の一つに立ち額をあげ
頬を触れる風に経文を記し
学者は暗い密室の中で
閉じた硝子の中に
原子の火花を観察しようとしていた

沈黙の言葉で月は語る
 人よ
 あなたが生まれる前に
 声を縒り光を編んで
 編みあげられる不可思議な情報体
 それがあなたという存在にほかならない

 一個の微細な受精卵が
 無数の細胞に序列と役割を付する
 広大な命の設計図を己が内に秘するように
 あなたという小さな存在の奥には
 あなたという人格の完成予想図が
 秘されているのだ
 魂のDNAだ
 そしてあなたという心は
 トランスファRNAのように
 外界と内界を往来する遊動体なのだ

 いずれあなたは
 己が核の中にそのまぶしい情報体をみつけるだろう
 奥底での邂逅は
 あなたの硬い殻を粉みじんに砕くだろう
 そしてあなたは外界の座標の一つに
 確かなあなた自身を構築してゆく
 それがあなたという生命活動なのだ

やがて僧侶の姿は闇に塗り込められ
経文は地に沈殿し天水のように峰に染み込み
それは山々の秘めた永い思考となる
頭脳活動に疲労を覚えた学者は
眼鏡を外して長いため息をつきながら席を立つ
隣室で気配を感じた妻は
夫に暖かい食事をとらせるために
読んでいた編み物の本を傍らにおいた


(1994年)




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