ご存知の方も多いと思うが、プロ野球セ・リーグは、来年からパ・リーグと同様にプレーオフを導入する事を決めた。シーズン終了後、第一ステージ(シーズン3位チームvs2位チーム)を3試合、第二ステージ(第一ステージの勝者vsシーズン1位チーム)を5試合行い、第二ステージの勝者が日本シリーズに出場する、というシステムになる。
前から言ってるけど、僕はこのプレーオフには反対である。くどいようだが、1シーズン闘って3位に入れば、日本シリーズ出場のチャンスがあるのだ。これは絶対におかしい。長いシーズン頑張って1位になっても、その後のプレーオフに勝たなければ意味がなくなってしまう。これは、ひとえに1位になったチームの実力と努力を愚弄しているに等しい。1位になっても、何の意味もないのだから。プロ野球側では、ファンが求めているから、とか何とか言っているようだが、単に興行を増やして売り上げアップに期待しているだけだ。何度も言うけど、シーズン一位チームをバカにするにもほどがある。フルマラソンで42.195キロを完走した中から、1位から3位の選手でさらに100メートル競走をして、勝った人をマラソンの優勝者とする、と言ってるようなものだ。
ま、とにかく、来シーズンからは、セ・リーグ各チームも闘い方が違ってくるだろう。1位になんてならなくていいのだ。勝率云々は関係なく、3位に入りさえすれば、日本一になれるチャンスがある。いや、何の栄誉もないのだから、1位になる方がアホらしい。よって、個人成績しか考えない手抜きプレーが増えるであろう。なんでも、セ・パ両リーグでこの方式を採用する事により、3位同士の日本シリーズもあり得る訳で、それでは日本シリーズとは呼べない、と新しいネーミングを募集する事も検討しているらしい。アホらし。
実際、今パ・リーグではライオンズ、ホークス、ファイターズの3チームで、激しい首位争いをしている。でも、どのチームも優勝する為に必死にはならないだろう。シーズン終了後、この3チームでプレーオフを行うのが決まっているからだ。そりゃ、3位より1位の方が試合数が少なくて済むから、少しでも上へ行きたいだろうけど、日本シリーズへの挑戦権は既に確保している。どのチームも決して無理はしない。かつてよく見られた、3チーム三つ巴のデッドヒート、という一番面白い展開は期待できないし、名勝負も生まれないだろう。これはファンをバカにしている事にはならないのか。
プレーオフは大リーグでもやってるではないか、とプロ野球側は言ってるそうだが、あちらのプレーオフは、地区優勝チーム同士での争いである。ワイルドカードってのはあるが、基本的には優勝チームに出場権がある。決して、シーズン3位のチームにシリーズ出場権を与えるものではない。こういうのを論理のすり替えというのだ。
という訳で、今年我がドラゴンズが優勝すれば、真のセ・リーグ・チャンビオンとしては最後になる。近頃足踏み状態だけど、こうなったら何が何でもリーグ優勝して、これまた最後の日本シリーズも優勝で飾って欲しい。いくら贔屓チームでも、プレーオフで勝って日本シリーズ出場なんて、素直に喜べない。
と怒ってばかりでは何なので(笑)
先日(9月7日)の夜6時半頃、エイプリル・フールズのセンベーさんから電話がかかってきて、これからハードロック・カフェでのライブを見に行かないか、とのお誘いがあった。フットワークが軽いのが身上(つーか、ヒマなだけだが...笑)の僕としては即座にOKし、仕事は適当に切り上げて、本町のハードロック・カフェへ向かったのである。
そのライブというのは、B’zの松本孝弘が以前やってたロックンロール・スタンダード・クラブ・バンド、という洋楽カバーバンドでボーカルを担当していた生沢佑一という人が率いるハードロックス、というバンドのもので、ハードロック・カフェ5周年を記念しての出演だったらしい。メンバーも名前は知ってる人がいて、ギターの是永巧一って、昔レベッカにいなかったっけ? キーボードの人は今でもB’zのツアーメンバーやってるらしいし、ベースの明石昌夫も以前B’zと一緒にやってた人だ。基本的には、生沢佑一のリーダーバンドで、メンバーは流動的らしい。で、この日演奏したのは、ほとんど洋楽カバーだった! もちろん、プロだから上手いのだが、そこいらのサラリーマンのバンドみたいな選曲で、意外というか何というか(笑) アンコールでクイーンの「We Will Rock You」と「We Are The Champions」を演奏した時は、もう何だか分からなくなった(爆) プロだけど趣味でやってるバンド、ってことなんだろうか。好きな曲をやりたいのは、プロもアマも関係なしって事なんだな(笑) いやほんと、親しみが持てて楽しいライブだった。
このライブ、無料だったんだけど(もちろん、飲食には金払うけど。当たり前)、バンドの皆さんはギャラ貰ってるのかな、とふと思ってしまった(爆) それくらい、アマチュアっぽいノリの、いい雰囲気だったのである。こういうのって、凄く刺激になる。また見たいものだ。
という訳で、エイプリル・フールズのセンベーさん、山田さん、お疲れさまでした。つーか、この3人が顔を合わせる事多いっすね(笑) フットワーク軽いトリオ、っちゅうかなんちゅうか(爆)
ご存じかもしれませんが、この方々はいわゆるビーイング系のアーティストの裏方さん達です。ボーカルの生沢さんはビーイング全盛期にTWINZER(ツゥインザー)名義で何枚かCDを出してますし、ほとんどのB系アーティストのバックコーラスを務めています。最近はアニメの仕事が多いかな?明石さんは長年関西でブルースバンドをやっていて、大黒摩季さんを見出だして育てたりしたのもこの人。ウエストロード・ブルースバンドの人達もこの人経由でビーイングの仕事をしてたりして。で、こういう人達を前面に出して、このブルーズ・フィーリングがなきゃロックやない!と騒いでたのがグループ傘下のJ-ROCKマガジン、というわけ。この系列はルーツをたどって行くとアイ・ジョージあたりまで遡るようで、なんとも根が深いです。
仲良し3人組ですね!!(笑)
私は関西では珍しいロッテファン。
オーナーが書いておられるような理由で、昨シーズンは複雑な心境でありました。まったくもっておかしな制度です。
まあそのおかげで、私が生きているうちにロッテが日本一になるのを見られたんですけどねー。来年からやめればいいのに。(笑)
>すごい面子ですね!さすが関西
そういえば、今回のメンバーは皆関西出身だと言ってましたね。
>この方々はいわゆるビーイング系のアーティストの裏方さん達です
そうではないか、と思っておりました。B’z関係でよく名前見かける人たちですしね。B’zの2人もそうですが、ビーイング系の人たちって、プロなんだけど、どことなくフツーのロック好きのあんちゃん、ってな風情を漂わせてますね^^
>この系列はルーツをたどって行くとアイ・ジョージあたりまで遡るようで、なんとも根が深いです
社長の長戸氏が初めて手がけたのが、三原順子と聞いてます。言われてみれば、いかにもビーイングという曲歌ってたような気も(笑)
♪ルールーさん
>仲良し3人組ですね
シャレにならなかったりして(爆)
♪揺れ名人さん
>私は関西では珍しいロッテファン
それは確かに珍しいと思います。僕、実はかつて川崎球場でロッテvs近鉄を見た事ありまして、その時近鉄の先発は野茂で、しかも初芝にホームラン打たれて負け投手になりました。勝ち投手は白武、セーブは前田、監督は返り咲きの金田、という顔ぶれでした(笑)
>昨シーズンは複雑な心境でありました
お察しします。ただ、ロッテに罪はありません。僕も、ロッテの日本一は素直に喜んでいました。悪いのは制度です(笑)
>来年からやめればいいのに
全くです(爆)
いや~軽いうちがハナですよ!!
お疲れさまでした。
>軽いうちがハナですよ
軽いのはフットワークだけにしときましょうね。尻とかはちょっと...(爆)
揺れ名人
うちの義父もロッテファンでした。たしか。よく西京極で練習してませんでした?いや、あれは阪急か?
うちの父親は、東映だったかオリオンズだったかのプロテストを受けて、受かったそうです。阪神の練習も、一度参加したことがあると言ってました。ただ、プロには進みませんでしたが。
プロ野球も、子供の運動会と同じで、一位は無しなんて時代が来るかもしれません。
ビーイングって、技術者、いわゆるスタジオミュージシャンかと思って調べたら、全然違いましたね。ビーイングってのは、まさに日本の「産業ポップ」だったのか。
>プロ野球も、子供の運動会と同じで、一位は無しなんて時代が来るかもしれません
そういえば、今は運動会も一等はなしなんですね。何故でしょう? 順位をつけると差別に繋がるとでも言うのでしょうか? それならテストも止めて欲しい。頑張って一等になった子(人)を評価してやらないでどうするんでしょう。
>ビーイングってのは、まさに日本の「産業ポップ」だったのか
90年代前半の日本は、文字通りビーイング系一色でした。B’zを筆頭に、WANDSやZARDもビーイングですね。個人的には、ビーイング系のアーティストって、どうも好きになれず、あの頃のヒットチャートは、はっきり言ってつまらなかったです。
是永巧一さんといえば忘れられない思い出がありまして、1993年、長野で見た宇都宮隆(TM NETWORKのボーカル。私は長年この人のファンで、今でも応援しています)のソロツアーに是永さん参加していたんですけど、ステージが始まったのに登場してなかったんですね。
病気したのかクビになったのか(笑)、どうしたのかと思っていたらスタートから1時間くらい経った頃に是永氏ようやく登場、その直後にメンバーからいじられた氏は「すみません寝坊しました」と白状。当時新幹線も高速道路も通じてなかった長野には1時間に1本の特急(東京から長野まで3時間かかる)しか来る手段がなく、やむを得ずそうなったという(笑)。他にギタリストがいたので対応できましたが、これほど「ギターがバンドに2人いてよかった~」と思った経験は後にも先にもありません(笑)。
ステージそのものは鬼気迫る素晴らしさで、特に全員揃ってからのすさまじいテンションの高さは(宇都宮さんの人気とパフォーマーとしての力がピークだったこともあり、レベッカ+TMのサポートというバンドメンバーも凄まじくよかった)、今でも記憶に鮮明に残っています。ステージが終わってから感激して泣き出す人が続出し、帰り道でも口々に誰もが「よかったよね~凄かったよね~」と言い続けることのできるステージは、その後もほとんど経験していないと思います。
>90年代前半の日本は、文字通りビーイング系一色でした。B’zを筆頭に、WANDSやZARDもビーイングですね。個人的には、ビーイング系のアーティストって、どうも好きになれず、あの頃のヒットチャートは、はっきり言ってつまらなかったです。
私は、これらの曲が流行っていた頃は「またかよ」という気持ちも時には感じたけれど、極めて職人的に抑制の効いた(洋楽ヒットのえげつないほど巧みな引用も含め)、商品としてよくできたビーイングのヒット曲は決して嫌いではなく、テレビの通販で最近宣伝しているその種のヒットを集めたコンピがなんだか欲しいと思っている変人です(笑)。