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筒美京平を悼む

2020年10月25日 18時08分44秒 | 時事・社会ネタ

随分時間が過ぎてしまったが、作曲家の筒美京平が亡くなった。享年80歳。ここ数年闘病中で、今月初めに亡くなっていたのだが、公表されたのは数日後だったらしい。またひとり、日本の音楽界のみならず、大衆文化にまで大きな影響を及ぼした人物がいなくなった。悲しいことだが、昭和・平成と時代は移り、令和となった今、我々は今後もこういった悲しい現実を受け止めていかねばならない。謹んでご冥福をお祈り致します。

筒美京平については、ここで僕がどうこう言う人ではない。数多くの名曲を生み出し、偉大な業績を残した作曲家である事は、日本人なら誰でも知っている。1960年代から作曲家としての活動をスタートさせ、70年代には既にトップの作曲家としての地位を確立していた。ヒット曲は多かったけど、単に良い曲というレベルを超越した、聴く者の感性を刺激するような、忘れる事の出来ない印象的なメロディを書く人だったと思う。70年代の頃までは、大半の歌謡曲はいわゆる“詞先”、つまり作詞家の書いた歌詞が先に用意され、作曲家はそれにメロディを付ける、という制作方法が中心だったそうだが、筒美京平が当時手がけた曲を聴いてると、詞に曲を付けた、というのが信じられないくらい、言葉に左右されない自由な発想でありながら、日本語が無理なくフィットした、印象的で個性的な曲ばかり。ヒット曲が多過ぎて、曲名を挙げる事すら無意味になってしまうのだが、敢えて例を挙げると、ジュディ・オングの「魅せられて」かな。阿木燿子による“詞先”だが(何かのインタビューで、70年代の頃は自分の作品は全て詞先だった、と阿木燿子本人が語っているのを見た事がある)、よくこんなメロディが付いたな、という感じ。歌詞をフツーに読んでも、こんな譜割りというかリズムにならない。日本語のアクセント等を崩さず、尚且つ決して日本的ではないメロディ。洋楽の日本語カバーと思ってしまうくらい。凄い人だ。

70年代に既に大御所だった筒美京平は、80年代に入ってもヒット曲を量産した。アイドル系の曲を手がけるのが多くなったような気がするが、鳴り物入りでデビューしても今ひとつぱっとしなかった歌手が、筒美京平作品を歌ったらヒットが出た、という例もいくつかあったように思う。あと、中堅歌手が、筒美作品でイメージを変えたとか。あの頃、筒美京平は“パクリの帝王”なんて言われて、要するに、ヒットしてる洋楽曲のおいしい所を自分の作品に取り入れたりしていたので、このように不名誉というか中傷というか、ま、ひどいことを言われていた訳だが、ヒットを生む為にはそんなの常識であって、筒美京平はこれっぽっちも悪くない、と僕は思っている(昔も今も)。だいたい、完成した作品を聴いてみれば分かるが、パクリとはいえ、オリジナルとは違う、新たな魅力を持つ曲に仕上がっていたので、凡百のパクリ野郎とはレベルが違うのだ。ステージが高いというか。やはり凄い人だ。

さすがに90年代に入ると、歌謡曲のあり方も変わり、筒美京平作品がチャートを賑わす事は少なくなった。ただ、新世代のJ-POPの担い手として登場した小沢健二やDOUBLEといったアーティストが筒美京平の曲をレコーディングしており(カバーではなく新曲である)、かつての歌謡曲を単なるヒット曲ではなく、日本のアイデンティティと捉える人たちに筒美京平はリスペクトされ(この言い方嫌いだが。笑)、大きな評価を受けた。そういえば、20年程前のインタビューで、筒美京平が「スピッツは僕の感性に近いものがある」と語っていたのを思い出す。作曲家生活20周年或いは30周年の節目に、豪華CDボックスセット等が発売されたのも、筒美京平を正しく評価するのを後押ししたと思う。筒美京平は21世紀になっても凄い人だった。

とにかく、筒美京平は偉大な人で、名曲もたくさんあって却って出てこないくらいなのだが(笑)、ここで個人的に印象深い筒美作品を紹介させて頂く。

早見優は1982年デビューで、この年は新人が豊作だった事でも知られるが、彼女はデビュー後しばらく、伸び悩んでいたように思う。露出は多かったけど、素人目にも歌ってる曲のイメージがバラバラで、方向性を絞れていないように感じられた。ところが、デビューから約1年後、早見優は筒美京平作品を歌う事で、ブレイクしたのである。それが有名な「夏色のナンシー」だった訳で、明るくキャッチーなこの曲、早見優のイメージにもピッタリで、それまでの曲とは明らかに一線を画していた(それまで出来が悪かった、という意味ではありません)。ま、同じ1982年デビューの小泉今日子と同じパターンだね。

だが、僕は「夏色のナンシー」より、その次に出た「渚のライオン」を推したい。ナンシーと同様、夏のイメージだが、何故か知名度が低いんだけど、こちらも名曲。メロディもいいけど、軽やかな疾走感の曲調が素晴らしい。テンポ良すぎて3分も経たずに終わってしまうのが、また、はかなくてよろしい(笑) 明るい曲なんだけど、どことなく哀愁を感じさせるのもいいね。地味だけど筒美京平の真骨頂と呼べる作品。

洋楽好きなら、Drドラゴン&オリエンタル・エキスプレスというグループの「セクシー・バス・ストップ」という曲は知ってると思う(1976年発表)。当時から、洋楽という触れ込みだけど作ってるのは日本人、それも筒美京平作曲だというのは知られていて、この頃、特にディスコ系のヒット曲は、そういう噂(つまり実は日本人の手になるものなのだ)がよく流れていて、あのアラベスクにも“実は日本人”疑惑があった。ま、逆に言えば、どう聴いても洋楽だけど、日本人の感性にもピッタリ、という音楽を作る事に、実は日本人は長けており、その筆頭格が筒美京平であった、という事である。言うならば“日本人が作る洋楽”、なんか意味不明だけど(笑)、ここに海外にはない、日本の歌謡曲の奥の深さを感じるのは僕だけではないはず。

で、そのDrドラゴンこと筒美京平は、「セクシー・バス・ストップ」のヒットを受けて、こんなアルバムを作っていた。実は、当時このアルバムの事は知らなくて、後追いで聴いたのだが、全編フィリー風のサウンドて統一されたディスコ・インスト・アルバムであり、そのグレードの高さに、最初聴いた時はブッ飛びました(笑) ただフィリー風とはいえ、楽器やメロディで和テイストを加えているのが素晴らしいところで、本当にエキゾチックというかオリエンタルというか、摩訶不思議な魅力にあふれたアルバムである。多分、MFSBとかバリー・ホワイトとかの本家と比較しても、決して遜色ない出来映えだ。この当時、筒美京平も多忙だったはずだが、その合間を縫って、こんなアルバムを作っていた訳で、やはり凄い人である。

松本伊代は、筒美京平による「センチメンタル・ジャーニー」でデビューして、すかさずスターダムに駆け上がった訳だが、当時(今も?)の慣例として、デビュー・アルバムも全曲筒美京平の作品となった。これがまた素晴らしい出来映えなので、先入観を捨てて(笑)、是非皆さんに聴いて欲しい、と思う次第なのであります(笑) ウェスト・コーストっぽい雰囲気があるかな。

収録曲は、佳曲揃いなのだが、僕が特に推したいのが1曲目の「ワンダフル・ハート」である。アコギのカッテイングで始まるイントロからして、既に名曲の風格十分。中間部のギターソロも凄い。松本伊代の歌も、お馴染みの鼻にかかった感じではなく、とてもナチュラルで良い感じ。サビの男声コーラスとの絡みもGood。ほんと、本人も今では絶対歌う事はないだろうと思われる(笑)ので、余計に隠れた名曲としての名を欲しいいままにしている「ワンダフル・ハート」なんであるが、こういう曲にも筒美京平の凄さが息づいているのである。

という訳で、本当に偉大な人を、日本の音楽界は失ったと思う。けれど、筒美京平の作品は、今後も生き続けていくであろうし、その作品が生き続ける限り、我々は筒美京平の名を忘れる事はないだろう。

合掌

 


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