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想い出のアルバム-Best of MOONRIDERS 1982→1992 Keiichi Suzuki sings MOONRIDERS

2023年03月05日 21時49分28秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Best of MOONRIDERS 1982→1992 Keiichi Suzuki sings MOONRIDERS/ムーンライダーズ(1994)

1.涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない
2.駅は今、朝の中
3.D/P
4.ガラスの虹
5.さよならを手に
6.Who's gonna die first?
7.スカーレットの誓い
8.ダイナマイトとクールガイ(シングル・ミックス)
9.9月の海はクラゲの海
10.くれない埠頭
11.幸せの洪水の前で
12.Yer Blues

皆さんご存知の通り、ムーンライダーズの岡田徹氏が亡くなった。享年73歳。まだ若いのに残念だ。ムーンライダーズのメンバーで鬼籍に入ったのは、2013年に亡くなったかしぶち哲郎氏に続いて2人目。「Who's gonna die first?」がシャレでは済まなくなってきてる。悲しい現実だが仕方ない。

実は、僕が初めてムーンライダーズを聴いたのは、この『Best of MOONDIDERS』なんである。えらそーな事を言ってるが(爆)、意外とムーンライダーズとの出会いは遅いのだ(笑) もちろん、ずっと前、中学生くらいの頃から名前は知ってた。『火の玉ボーイ』とか『カメラ=万年筆』といったアルバムを出してるのも知ってたし、興味も持ってたけど、残念ながら当時は全く聴く機会がなかったのだ。リーダーの鈴木慶一をはじめとするメンバーたちが、ムーンライダーズ以外でも活発に活動してるのも知ってて、興味だけはつのるものの、いかんせんムーンライダーズがラジオでかかる事はあまりなかったし、周囲にムーンライダーズ持ってるのもいなかったし、レンタルでも見かけなかったし、結局ムーンライダーズ未体験のまま歳月だけが流れてしまった。ついに僕がこの『Best of MOONRIDERS』を手にするのは、1994年のこと。初めてムーンライダーズの名前を知ってから17~8年が経過していた。

ムーンライダーズ初体験ではあったが、特に先入観はなく、そのせいか、すんなりと聴く事が出来た。タイトルが示すように、1982年から1992年にかけて発表された7枚のアルバムから、満遍なく収録されたベスト盤だ。後で知ったのだが、この時期のムーンライダーズは結構大変で、70年代に所属していたクラウン・レコードからジャパン・レコードに移籍するものの、レコーディングしたアルバムが難解過ぎるとされて発売中止になったり(数年後に発売)、その影響か、コンスタントにアルバムは作るものの、都度レコード会社は変わってたり、80年代後半からはメンバーの病気等もあって約5年間活動を休止したり、と色々な事があったらしい。90年代になってから復活し、東芝EMIと契約して2枚のアルバムを出した後に、本ベスト盤の登場となる訳だ。先程1982年から1992年に出たアルバムから満遍なく選曲されている、と書いたが、本ベスト盤が東芝から出ている事もあり、1991年の『最後の晩餐』と1992年の『A.O.R.』から3曲づつ、それ以外の5枚からは1曲づつの収録となっている(残る1曲はビートルズのカバー)。ただ、この東芝での6曲が実に素晴らしい。

1991年に『最後の晩餐』で久々に復活したムーンライダーズは、一見王道を行くアダルトな雰囲気のサウンドを提示し、1992年の『A.O.R.』も同じ路線である。この2作、どちらも傑作であり、ベテランらしい風格と聴きやすいけど決して迎合はしない姿勢を感じる曲作りやサウンド・プロダクションが実に素晴らしい。僕はこの東芝時代の6曲(↑の曲目でいうと、1.4.5.6.8.11)にすっかりハマってしまい、それからムーンライダーズを色々と聴き始めたのである。思えば長い道のりだった(笑)

90年代中頃、ムーンライダーズの旧作もかなりCD化されていたので、70年代も80年代も遡って色々と聴いてみた。ベスト盤以降の新作も『月面讃歌』あたりまでは聴いてた。ライプも見に行った。今はなき、新宿の日新パワー・ステーションだ。調べてみると、1996年に2回行っている。ほんと、この頃はムーンライダーズにハマってたな。ムーンライダーズというかリーダーの鈴木慶一は、意外とテレビに出てたので(いわゆる歌番組ではなく、深夜枠やBSのややマニアックな音楽番組)、そういうのもよく見てた。

ムーンライダーズ自体は、一般的には決してメジャーな存在ではなかったが、メンバーはそれなりに知られてたと思う。はっぴぃえんどやミカ・バンドほどではないにしても、歌謡曲系の歌手に曲を提供したり、プロデュースやアレンジを手がけたり、コンサートでバックを務めたり等々の活動はしてたしね。鈴木慶一は「恋のぼんちシート」や「いまのキミはピカピカに光って」といったヒット曲に関わってたし、かしぶち哲郎は岡田有希子の曲作ったりしてた。CMも結構やってたみたいで、ここいらは大瀧詠一みたい。そういえば、1995年にもビールのCM音楽を担当し、「冷えたビールがないなんて」というシングルも出してたっけ。こういう活動は、バンドの経済的基盤を安定させる為に始めたんだそうだが、逆に言えば、そういう活動にも別に抵抗はなかった、という事になる。ムーンライダーズがメジャーではなかった、つまり売れなかった(ヒット曲がなかった)のは結果であり、彼らはメジャーを否定したりはしてなかったと思う。

ムーンライダーズのアルバムを何枚か聴いてみると分かるが、彼は決してアングラでも難解でもない。70年代は今風に言うと無国籍サウンドを志向し、『カメラ=万年筆』では後のサンプリングの方法論を既に実践していて、発売中止となった『マニラ・マニエラ』にしても、当時のテクノ或いはエレクトロ・ポップの方法論を大胆に取り入れた作品であり、要するに、アイデアがあまりにも先鋭的過ぎて、ほとんどの人には理解出来なかった、というだけなのだ。ま、早過ぎたんだな。それと、ムーンライダーズの音楽には、なんとなく捻れたところがある。王道のように見せかけて、実はちょっと道がずれている、というか。決して、コースアウトはしないのだが、メインではない。歌詞にしてもサウンドにしても。そんなとこも、熱心なファンは多いが、一般にはウケづらいのだろう。

そんなムーンライダーズだが、前述したように『最後の晩餐』と『A.O.R.』の2枚は傑作である。キャリアを積み重ねたベテランが作り上げたオトナのロックがここにある。売れ線のように見えるが、決して迎合はせず、メインストリームではないが、マニアックでもない、そういった要素が絶妙なブレンドで楽しめる。そういうあたりに、僕も惹かれるものがある。ちょっとひねくれてるというか、照れてるというか、本音をはっきりと言わないというか、そういう歌詞もいい。少しは売れて欲しい、と思ったけどね(笑)

そのムーンライダーズだが、かなり長い事こっちもご無沙汰してたんで^^;、動向もよく知らなかったのだが、かしぶち哲郎の死を挟んで、無期限活動休止宣言や無期限活動休止の休止宣言やらを繰り返していたようだが、2020年から活動を再開し、新作も発表したらしい。が、この度の岡田徹の逝去を受けて、その活動はどうなるのか。やはり、ムーンライダーズは令和になっても注目のバンドである。

ところで、余談だが、つい最近知ったのだが、初音ミクによるムーンライダーズのカバー・アルバムが出ていた。これなんだけど、ムーンライダーズと初音ミクの組み合わせって、めちゃ意外だけど、ハマってる気もする。こんなとこにも、ムーンライダーズの独特の立ち位置が見えるような気がして面白い。

コメント (2)
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