年度末でドタバタ状態ということもあり、くたびれて帰宅後即熟睡だったりします。無論、熟睡できる環境が普通にあるというのは文句なく嬉しいことであり、ありがたい事であります。
それにしてもこの天気、3月下旬じゃないよね。春の訪れが本当に待ち遠しい今日この頃。
お陰さまで当方の知人はほぼ連絡がついたので、少しほっとしているのですが、話を聞くにつけこれから復興にどれくらい時間がかかるのかちょっと想像もつきません。
ただ皆さん例外なく「大丈夫、何とでもなるよ」、「こんなところで立ち止まれないよ」、と話してくれるのが当方にも救いです。そんなに簡単なことでないのはお互い分かっているけれど、そう信じたい、その思いに嘘はないとわかるから。ちなみに当方の技能がお役に立てそうなのは、まだ先のようです。でもその時は必ず来ると思うんですがね。
先週末、九州へ出張してきました。西日本は電池が消えたり、コンビニの棚が部分的にすっからかんになったりしてますが、極めて平常です。そして、博多へ行って驚いた。
博多の新駅ビル、人で溢れていました。九州新幹線の全線開業イメージカラーは虹色。駅も、ポスターも、みんな虹色です。けしてお祭り騒ぎではないけれど、十分に活気がありました。
駅で流れていたCMはまたイイ。
「どうして立ち止まってるの? 未来は明るいに決まってる」
釘付けになってしまった。予測不能な情勢とはいえ、作った人も、流している人も、それを見ている人も、今、同じ思いをかみしめていると思う。
進むのを止めるのもそうだけれど、考えることを止めるのも同じだね。
「結局のところ危険なのか、大丈夫なのか、どっちなんですか!!」と官房長官に食って掛かる記者、
「出来るのかできないのか、はっきりしてください!」と叫ぶ事業仕分け人、
「しばらくお待ちくださいの「しばらく」はいつまでなんだ!」と駅員に詰め寄る乗客、
「取り敢えずイベントは全部中止だから」なんて言っちゃう偉い人、
「企業CM流せないから、取り敢えず公共広告機構で」なテレビ局…
間違っているとは云わない。正論だし、正しいこともあるよ。
でも私は尋ねてみたい。それは熟慮の結果なのかと。単なる思考停止じゃないのかと。
世の中そう簡単に白黒つけられないのは誰でも知っている。いや、むしろ白黒はっきりすることの方がずっと少ない。それも分かってる。それでもあるモノを取り、その他を切り捨て、社会を洗練させ、効率を上げて、利潤を追求し、今のこの世の中が形作られた。私だってその中の一人だから否定なんてできない。
でも、なんか違和感あるんだよねえ。何でもかんでも白黒つけなきゃいけないもんかね。前にも書いたけど、感動するのもインスタントだし、何でも検索すればウィキペディアに載ってるし、質問に対する回答があまりに直結しすぎてる気がするんだなあ。世の中ってそんなに簡単に答えが出るもんなのかね。ただの思考停止じゃないの?それに慣れきっているだけじゃないの?
なんか偉そうに書いちまったなあ。まあ半分以上、自分に対して書いているようなものだから、勘弁して下さいな。
国家を預かる人は中途半端なことは言っちゃイカンのだろうし、計画停電の地域があやふやだったら話しにならない。熟慮が言い訳になり、肝心なときに判断ができないのも困ったことだ。何が求められているか、適切に判断するバランス感覚が肝ってことですな。
ということで、当方のバランス感覚により(若干心もとない点は自覚しつつ)ブログは続けます。
おまけ:A300-600Rは本日で運行終了予定でしたが、その圧倒的な(今となってはね)積載能力を買われて被災地への救援便に使われているようです。4月いっぱいは青森に飛ぶようです。
それにしてもこの天気、3月下旬じゃないよね。春の訪れが本当に待ち遠しい今日この頃。
お陰さまで当方の知人はほぼ連絡がついたので、少しほっとしているのですが、話を聞くにつけこれから復興にどれくらい時間がかかるのかちょっと想像もつきません。
ただ皆さん例外なく「大丈夫、何とでもなるよ」、「こんなところで立ち止まれないよ」、と話してくれるのが当方にも救いです。そんなに簡単なことでないのはお互い分かっているけれど、そう信じたい、その思いに嘘はないとわかるから。ちなみに当方の技能がお役に立てそうなのは、まだ先のようです。でもその時は必ず来ると思うんですがね。
先週末、九州へ出張してきました。西日本は電池が消えたり、コンビニの棚が部分的にすっからかんになったりしてますが、極めて平常です。そして、博多へ行って驚いた。
博多の新駅ビル、人で溢れていました。九州新幹線の全線開業イメージカラーは虹色。駅も、ポスターも、みんな虹色です。けしてお祭り騒ぎではないけれど、十分に活気がありました。
駅で流れていたCMはまたイイ。
「どうして立ち止まってるの? 未来は明るいに決まってる」
釘付けになってしまった。予測不能な情勢とはいえ、作った人も、流している人も、それを見ている人も、今、同じ思いをかみしめていると思う。
進むのを止めるのもそうだけれど、考えることを止めるのも同じだね。
「結局のところ危険なのか、大丈夫なのか、どっちなんですか!!」と官房長官に食って掛かる記者、
「出来るのかできないのか、はっきりしてください!」と叫ぶ事業仕分け人、
「しばらくお待ちくださいの「しばらく」はいつまでなんだ!」と駅員に詰め寄る乗客、
「取り敢えずイベントは全部中止だから」なんて言っちゃう偉い人、
「企業CM流せないから、取り敢えず公共広告機構で」なテレビ局…
間違っているとは云わない。正論だし、正しいこともあるよ。
でも私は尋ねてみたい。それは熟慮の結果なのかと。単なる思考停止じゃないのかと。
世の中そう簡単に白黒つけられないのは誰でも知っている。いや、むしろ白黒はっきりすることの方がずっと少ない。それも分かってる。それでもあるモノを取り、その他を切り捨て、社会を洗練させ、効率を上げて、利潤を追求し、今のこの世の中が形作られた。私だってその中の一人だから否定なんてできない。
でも、なんか違和感あるんだよねえ。何でもかんでも白黒つけなきゃいけないもんかね。前にも書いたけど、感動するのもインスタントだし、何でも検索すればウィキペディアに載ってるし、質問に対する回答があまりに直結しすぎてる気がするんだなあ。世の中ってそんなに簡単に答えが出るもんなのかね。ただの思考停止じゃないの?それに慣れきっているだけじゃないの?
なんか偉そうに書いちまったなあ。まあ半分以上、自分に対して書いているようなものだから、勘弁して下さいな。
国家を預かる人は中途半端なことは言っちゃイカンのだろうし、計画停電の地域があやふやだったら話しにならない。熟慮が言い訳になり、肝心なときに判断ができないのも困ったことだ。何が求められているか、適切に判断するバランス感覚が肝ってことですな。
ということで、当方のバランス感覚により(若干心もとない点は自覚しつつ)ブログは続けます。
おまけ:A300-600Rは本日で運行終了予定でしたが、その圧倒的な(今となってはね)積載能力を買われて被災地への救援便に使われているようです。4月いっぱいは青森に飛ぶようです。