「3・20」

2006年03月21日 | 出来事
昨日は、あの前代未聞の地下鉄サリン事件から11年目の時だった。

恥ずかしながら、昨日のニュースを観るまで昨日「3・20」が地下鉄サリン事件だったという事を忘れていた。

あの事件から私達は何を学んだのだろう?
同じような事件を我々は防ぐ事はできるのか?そして、万が一起こった時に適切な処理が出来るのだろうか?

そして、あの事件で語られてない部分は多くある・・・。



「一日目」

2006年03月20日 | 活動
民主党の広報宣伝車を使っての遊説一日目が無事終わりました。

選挙区外である宮崎市に今朝、車を取りに行き、選挙区外ですが民主党をアピールするのに選挙区も選挙区外も関係ありませんので宮崎市から遊説を開始いたしました。

選挙の時期ではありませんので、選挙時と比べては手を振ってくださる方は少ないのですが、多くの方が車の中から手を振ってくださったり、中には走って出てきてくれた方までいらっしゃいました。(限られた時間を足早に進んでますので、止まれなくてすみません・・・。次回からは止まります。)多くの方の期待に応える為にも、地道に活動していかなければならない、そして民主党も多くの方に信頼される政党に一日でも早くならなければならないと感じました。

広報車を使っての遊説は多くの方に民主党そして、自分を売り込めるチャンスですので、一定の評価はできると思いますが、やっぱり一件一件自分の足で歩いて周ったり、旗を持って自分の足で歩いたり、外で街頭演説して自分の訴えを主張していく方が自分にはあってると感じた一日でした。一方的な意見や主張を流すよりも、皆さんの声を一人でも多く拾い取りたい。それが、遊説ではなかなか出来ないのでそれが難点です・・。

「搬入」

2006年03月19日 | 出来事
今日は、朝から事務所に机などの搬入を行なってきました。数名の方に手伝ってもらったのですが、自分で汗を流して事務所を作っていくってのは気持ちいいですし、楽しいですね。

大抵の道具は、いらなくなった机などをもらったり自分が以前使っいた物をお古として再利用しています。しかし、僕には一点だけこだわりがあり、今までの政治関係の事務所の雰囲気をお客さんを迎えるスペースだけは壊したい。喫茶店のような雰囲気を作り上げたいというのがあります。

事務所機能として使えるようになるまでは、時間がまだ当分かかりますが、皆さんが日南に遊びに来られた際に気軽に立ち寄る場所にもしていきたいと思っております。

事務所の住所は

日南市中平野1丁目3-4 2Fです。
電話はまだ、工事が完了しておりません。(3,4,5月は引越等で一番忙しい時期なようです。)

「あなたを観て書きます」

2006年03月18日 | 出来事
今日は事務所に必要な用具等を揃える為に妻と買い物に行ったのですが、「あなたを観て書きます。」というイベントが行なわれてました。相手をみて受けたインスピレーションで、その人を書いた詩・書をくださるというものです。以前、「ひぐらし」さんという宮崎の書家・詩人に書いていただき、「他の人だとどう書いて下さるのだろう?」と思い書いていただきました。

己の核、芯、世界観は、どこに置くか。どんな宇宙を観るか。
星が、味方している人程、時を、選ばれる。
己の命、出来た時。

この詩を書いてくださったのは、関東在住の稲葉尊治さんという若きアーティストです。「こんなのを書いてみろ?ってのは、ありますか?」と言われたので、「自分の将来や夢に関して書いて欲しい。」と注文をして、書いていただきました。そして、書いていただいた後も色々とお話をし、なぜ、これを書いたのかという説明も受けましたし、今後のアドヴァイス等も頂きました。

この詩・書には初めから設定されている値段はありません、自分が感じた値段をその作品につけるというものです。私が、いくらつけたかは明かしませんが、もし機会があれば、皆さんもチャレンジしてみてください。

「民主党の広報車でまわります」

2006年03月17日 | 告知
20(月)、21(火・祝)、22(水)と3日間で選挙区内を民主党の街宣車でまわります。

20日(月)は県南地区、21日(火)は野尻・高原・小林・えびの、22日(水)は都城をまわります。

みかけたら、声をかけてください。(笑)

「撮影」

2006年03月17日 | 活動
今日は、今後の活動戦略で重要となるアイテムの為の写真撮影を行なってまいりました。

雨男なのか何なのか知りませんが、当初予定していた2月20日から雨の為に4度も中止になり、やっと5度目の今日、撮影を行なう事ができました。撮影スタッフは選挙の時からお世話になってる、カメラマンの酒生さんとアシスタントの矢野さんのコンビです。僕の抱いてるイメージを僕が言葉に出さなくても、導き出していただけるので大変ありがたいです。

未だに多くの方と僕自身は直接お会いしてるわけではありませんが、多くの方がポスター写真などを通して僕に対して何らかのイメージを持ってらしゃいます。多くの方からメールやコメントを頂いてますが、その中でも直接僕を見たという人はごくわずかだと思います。直接話したわけでもなく、お会いした事もない中でなんらかのイメージを僕に持たれている。そういう意味では写真によるイメージの伝達というものは大変重要であります。そういった「外山いつき」のイメージを創ってくださってるのが、酒生哲雄カメラマンです。カメラマンの腕というのは、大きなウェートを占めているのだと私は感じます。

もちろん、政治活動において私が歩き回らないといけないというのは大前提条件です。それを補うものとしてイメージというものは最重要だという事です。

ここで告知です。

酒生哲雄さんの個展「酒生哲雄の世界 僕の中に咲いた花」が宮崎市の「みやはら画廊」(宮崎市千草町1-3)で5月1日~5月7日まで開催されます。この機会に、ぜひ酒生ワールドを体験してみてください。

「慰安婦問題」

2006年03月16日 | Weblog
新聞報道によれば、民主・共産・社民各党と無所属の参院議員は月内に「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を参院に再提出するそうだ。この法案は、いわゆる旧日本軍の元慰安婦に対する政府の謝罪と名誉回復、金銭支給などを求める法案で、過去に6回廃案となっていて、今回が7回目の提出となるそうだ。

私は選挙に出馬する前から、この慰安婦問題には大変興味があり「いつきコラム」(ブログはここ最近始めたが、HPのコラムはかなり以前より書いている。)でも、数度この慰安婦問題には触れていると思います。

未だに、この慰安婦問題に関しては多くの方が誤解をしてると思うので改めて指摘したいと思っております。いわゆる革新系の新聞では「従軍慰安婦は強制連行だ!だから、謝罪しろ。」と主張し、一方保守系と言われる新聞では「従軍してた慰安婦などいない。公募して現地の業者が集めたんだ!」と反対の主張をしている。この論争が始まったのは1992年ぐらいではないだろうか。

「従軍慰安婦」という言葉は定着しているが、この「従軍」というのは軍属のものをさしている。従軍記者などはいたのだが、慰安婦自体は軍属ではなかった為に従軍という言葉をつけてなかったし、この「従軍慰安婦」という造語が作られたのは1980年代の千田夏光氏の「従軍慰安婦・慶子」あたりだったからだと思います。最近は、この「従軍慰安婦」という言葉が戦後出来た造語だと分かった為にマスコミでもあまり使わなくなってきてます。

次は慰安婦に関する、強制連行等があったかどうか、旧日本軍が関与してたかどうかが問題となると思うのですが、いわゆる多くの国民が理解している「日本軍による慰安婦の強制連行」というものは未だに明らかになってません。言い換えれば、軍による強制連行を示す資料というものは未だ一度も発見されていないにもかかわらず、政府は謝罪しつづけているのです。

92年1月11日に朝日新聞が一面トップに、慰安所に関する軍の関与を示す資料が発見されたとスクープします。その5日後に当時の宮沢首相は当初の予定どおり訪韓するのですが、それ以来日本政府は慰安婦問題に関して謝罪しつづけてます。当時の官房副長官だった石原信雄氏は後に「韓国政府が慰安婦の名誉回復を求めてきたので、政府は一所懸命になって資料を探したが、軍関与の資料は見つからなかった。しかし、韓国政府が名誉回復の為に謝罪してくれれば、以後賠償請求などは行なわないと言うので、資料はなかったが政府は謝罪した。もし、今日のような事態になるのが分かっていれば、認めなかった。」というような発言を雑誌等でされていたのだが、どこにも軍と慰安婦を結びつける資料はないのだ。

この朝日新聞のスクープにしても、内容は内地で誘拐まがいの募集をする業者がいるから注意せよという関与を示すもので、それが軍が慰安婦と関係を示すものではないのだ。ただ、慰安婦と軍の関係は「お客と商売の関係」であるのだ。元慰安婦の女性達も市民運動の集会や韓国政府などには軍に強制徴用されたような事を証言してるが、日本における慰安婦裁判ではそのような事は一言も証言していない。

慰安婦の問題に関しては、不幸な歴史だとは思うが、そこにおける商売上の関係において責任を取れと言われても、国が責任を負うような問題ではないと私は考えます。だからこそ、今回の慰安婦問題の解決立法の提出は残念でなりません。どれだけの政治家が正しい歴史を勉強してるのでしょうか?私は「歴史」は重要だと主張しておりますが、多くの国民が正しい歴史を知らないといけないのではないかと思います。

「550を超えた日」

2006年03月16日 | 出来事
昨日は、一日のブログ閲覧数が550を超えました!!今までの最高は300台、一日平均220だったので、自分でも「なぜ?」という感じです。

昨日は久しぶりに高校時代の同級生5名で集まり、語りながら夜遅くまで会食しました。皆それぞれ職業が違い、ある種の異業種交流の場でもありますし、様々な意見交換の出来る場でもあります。

「俺達も、今年で30やわ。30代で何かせんといかん。」と一人の友達は熱く語り、「今のうちに、スキルアップをしとかないと。」と別の友人は語ります。

ほんと、若い時に打って出ないといけない事はあるだろうし、若いからそれが出来るというのもあります。人間は歳をとると、守りに入る事がしばしばあると思うのですが、僕達ワカモノは今が攻撃の一番のチャンスでしょうし、それを掴めるか掴めないかで今後の人生を含めて色々変ってくると思います。

「大志を抱きつつ、とにかく前進あるのみ」と改めて感じた夜でした。


「民主の壁」

2006年03月15日 | 選挙
来月、ある団体の総会・懇親会に出席させていただく事になったのですが、やはり民主党という名には地方では壁があるらしく、私の肩書きに関して「民主党」というのでは紹介出来ませんと言われました。その団体は自民党系らしく、役員も自民党の党員になってるとの事。そこで、「外山いつき」が民主党の看板を背負って入ってこられても、困るという事でしょう。

組合長さんや役員さんの御配慮で、懇親会でテーブルまわる時には「民主党」と名乗ってもいいと言われました。本来は、堂々と「民主党」と名乗らせて頂きたいのですが、普通だったら拒否される可能性もあるのに、それを参加させて頂けるのですから、大変ありがたいです。

今回みたいに自民党系の団体が、看板は外せといわれましたが、民主党の私を受け入れてくれるケースというのは希だと思います。今回のケースはたまたまであって、政権交代を狙う我々、民主党が政権政党になる為には、こうした団体を切り崩していく他にはないのです。そういう意味では、末端の我々には出来る事には限りがあります。そこで私が党本部に求めたい事は、そういった団体が抱いている民主党に対する誤解やアレルギーを取り除いていって欲しいということです。

とにかく、私はこの民主党不毛の地(国政では宮崎3区では民主党では私が初めて出馬しました。04年の参院選挙では宮崎は全国で唯一民主公認候補者を擁立できなかった県。地方議員では宮崎3区には民主の県議は一名もいませんし、市町村議員では市議が2名いるのみです。)で頑張ってまいります。家作りで例えるなら、やっと土地の選定が終わり、耕し始めた状態です。家が完成するまでには、まだまだ時間がかかりますが、頑張って耕してまいりたいと思ってます。

「プロの仕事」

2006年03月14日 | Weblog
事務所が決まったと先日報告しましたが、今日は電気を事務所にひいてもらう為に電力会社の方にきていただきました。昨日から、市の水道局そして電力会社にきてもらって電気や水をひいてもらおうと思ってたのですが、意外や意外、難航しました。

なんでも、僕が事務所を借りるまでその部屋は約20年近く使われてなかったそうな・・・。(笑)水道は栓を開けてもらっても、水がなかなか出てこないありさま・・。電気にいたっては、大家さんまで長いこと使ってないのでメーターがどれだか分からないとの事。それで電気に関しては昨日中にひいてもらうことを断念し、今朝改めて電力会社の方に来て頂いて工事してもらいました。

しかし、それでも難航いたしました・・・。昨日の話では、メーターが設置されてない可能性が高く改めて設置するとの話しだったのですが、調べてみたらどれもメーターは埋まってるらしく、調べてみても僕の事務所とつながってるメーターがない・・・。色々調べてくださったのですが、作業の方曰く「こんなの初めてだ。まるで、狐につままれたようなごたある。」と言われました。

僕は配電の事などは無知なので、まったくもって状況がつかめなかったのですが、配電に関しては幾千の場をこなしてきたプロがおっしゃるのだから事実なのでしょう。寒い中、外で1時間近く原因究明をしてくださり無事、事務所に電気が通りました。電力会社の方の配電に関する知識というのは相当な物で、今まで経験がなかった事にまで対処できる姿というのはまさにプロの仕事で、そのお仕事ぶりには脱帽しました。

その様なプロの方に、帰られる間際に「外山さん、応援してますから、頑張ってください!」と言われたのには嬉しかったです。

話しはややそれますが、事務所でPCも使える環境を整える為に今、流行の光にするのですが、契約は済んだのですが、田舎のせいか工事の予定が立っておりません。それゆえに、電話の開通がいつになるのかは未定です・・。なんでも、3月というのは忙しいシーズンらしいのです。私の地元日南市では数年前にNTTが営業所を撤退したのですが、工事が遅いのはそのような理由もあるのかもしれませんね。民営化によって、色々なサービスが生み出されたのかもしれませんが、民営化によって地方ではある種のサービス低下を受けてるのも事実です。