「徳目・道徳の重要性」

2007年03月30日 | 教育
政府の教育再生会議は小中学校の正式な教科として「徳育」を新設を提言する事を決めました。「徳目」の成績評価に関しては反対ですが、「徳目・道徳」の重要性に気付き、力を入れていくという事には大賛成です。

僕は「教育」問題に関心があり、今の教育体制を見直さない限り、日本人の心の質も、将来の日本の国際競争力も今よりも落ちるのではないかと考えております。
(西村さとしHP「情熱対談 vol.05http://www.nishimurasatoshi.com/taidan/)

それゆえに、特に日本の教育において「道徳」教育を今よりも充実させ、道徳規範を身につけさせなければならないのではないかと考えております。

「道徳」で全てが解決するわけではありませんが、いじめの問題・学級崩壊の問題・殺人・自殺など現代社会が抱えるあらゆる問題に対して、「人として、どうあるべきか。」という教えを「道徳」は説いてくれるのではないでしょうか。

日本人の「美徳」を今後も絶やさず、今よりも発展させる為にも、「道徳」教育は重要です。

ただ、道徳規範というものは教育現場だけが教えるものではなく、家庭や地域社会でも教えていかなければならないものだと考えます。

「みやざきママパパhappy」

2007年01月14日 | 教育
ブックマークに、「みやざきママパパhappy」のサイトをリンクいたしました。

「みやざきママパパhappy」は子育て支援を目的とした、ママ・パパのサークルです。

どうぞ、子育て奮闘中のママ・パパはアクセスされて、参加してみてください。


みやざきママパパhappy
http://miyamapa.com/

「やはり発覚」

2006年11月04日 | 教育
先日のブログでも指摘した私立中学での未履修問題が、愛媛県の愛光中学で発覚しました。

しかし、これは自分の経験から踏まえても氷山の一角だと思います。

今回のケースは「技術・家庭」の授業時間数が極端に少ないものだったのだが、まったく授業がなかったというケースも出てくるのではないでしょうか?

産経新聞によると、伊吹文部科学相は小中学校の必修科目履修状況にかんして、「万が一にもあるかないか、いずれ当たりたい」とのん気な事を言っている・・。
文科省は全然、こういった事態を予想してなかったのだろうか?

「中学で未履修だったかも。」

2006年11月02日 | 教育
未履修問題は補習を上限70回、運用により50回程度の補習で卒業を認めるという方向で決着した。この決定が公平なのか不公平なのかは何とも言えない。

今回の件は受験勉強を優先する過程で生じた、日本の教育システムの欠陥だったと言えるだろう。しかし、僕はこの問題は氷山の一角だと考える。

僕は一時期、中高一貫教育の中学に通ってた。そして、地元の中学に戻ってきた時に、今まで習わなかった教科を何個か習わされた。そして同時に、習わなくなった教科もあった。

新しく習わされた教科とは「技術・家庭」「美術」「道徳」で、習わなくなったのは「世界史」「日本史」「物理」「化学」と独立した教科だ。

当時は何も疑問に思わなかったし、今回の件があるまで何も思わなかったが、僕の経験した事は未履修問題とは何か違うのだろうか?万が一、これが未履修問題と同じなら、高校だけの問題ではなく中高一貫の中学校にも生じだろう。

今は未履修受験生の救済策が主にクローズアップされているが、本格的な真相究明が早急に必要だと考えます。

「未履修問題」

2006年10月30日 | 教育
高校の必修科目の未履修問題は富山県だけにとどまらず、41都道府県399校にまで広がり全国的な問題へ発展していってる。

政府は救済策の検討にも入っているが、甘い救済策は取らないでいただきたい。未履修問題は全国的に拡大しているが未履修は全体から見れば彼らは一部なのである。多くの学生は、いわゆる「必要のない教科」を真面目に受けてきたわけだ。それを多くの人々の要望で「必要のない教科」を省いた側が優遇されるというのでは、正直者が馬鹿をみる教育となってしまう。

政府の対応をみていると、この問題の責任を学校側や教育委員会に押し付けているような感じもするが、この問題は学校側だけが悪いわけでもなく、教育委員会だけが悪いわけでもない。日本社会における「お受験主義」がもたらした不幸な出来事だ。学校も生徒も保護者も社会も「お受験」に熱中するあまり、本来の目的だった「教育・勉学」がないがしろにされ「お受験」に必要なものだけしか必要ないという教育界になってしまったのではないか?

さらに付け加えれば、この問題がなぜ生じたのかよく観察してみると、文部科学省の推し進める「理念なきカリキュラム・システム」がもたらした弊害なのかもしれない。

必修科目を受けてた生徒にも、未履修だった生徒にも一日でも早く安堵してもとの状態に戻れるように、政府には早急にこの問題に対する対応策を決めてもらいたい。

「世界史」

2006年10月24日 | 教育
富山県立高岡南高校で高校3年生全員が卒業できなくなるかもしれないという事態が起こっている。

なんでも、学習指導要領で必須科目となっている世界史を履修させていなかったということだ(世界史の他に、もう一つ地理か日本史の中から選択しなければならない)。大学入試に必要な科目だけを集中的に学びたいという生徒からの要望が以前あったらしく、一つだけの選択にしたそうだ。

学校側は「受験」「受験」で頭が一杯だったのだろうが、公的な教育機関である以上、こんなミスは断じて許されない。生徒があまりにも可愛そうだ。



それにしても、このニュースを見てて一つ気になった事が僕にはあった。
僕の頃は、いわゆる社会科の中から一つの選択だった。
しかし、今は二つ選択しないといけない上に、「世界史」は必修らしい。

しかしなんで、「世界史」が必修なんだ?
これからの国際化やグローバル化を見越しての必修なんだろうか?
日本という国で暮らして、学ぶのに「世界史」が必修で「日本史」は選択教科だという事に僕は納得がいかない。

全てが選択ならまだ分かるが、「世界史」だけが必修・・・。

自国の歴史も分からない人に国際的な感覚がつくはずはない。
政府や文教族や文科省そして日本人の皆さんは、この異常事態に何も感じないのだろうか?


「子育て」

2006年10月02日 | 教育
壁紙を一新しました。昨年も、「ピンク・リボン」の期間はピンク・リボン専用の壁紙に変えました。ピンク・リボン運動を応援してる一人として、乳がんの早期発見などの啓発のお役に立てれればと思っております。未だに、ピンク・リボン運動のリストバンドは付けています。

「ピンク・リボン」とは関係ないのですが、今日は「子育て」に関するお話しをしたいと思います。先月ですが、ある会合で子育て支援に力を入れてらっしゃる「みやざきママパパhappy」(http://miyamapa.com)を主催されてる方とお話しをする機会がありました。

我が国の少子化問題は深刻な状況なのですが、単純に子供を増やすというやり方では何も解決しない。それどころか、不幸な境遇の子が増えてしまう恐れもある。実際に、子育てを放棄し児童擁護施設に預けられる子供は年々増加しており、宮崎県内の施設は何処も満杯に近い状態だそうです。

子供を産んだはいいが、責任持って子育てが出来ない、子供の育て方が分からない、子育ての悩みを相談する相手がいない等、様々な問題が発生しており、そういった状況が新たな問題まで生み出しているようです。

「みやざきママパパhappy」では、親の教育といった活動もされてるようです。親に対する教育を事前に行い、児童虐待などの様々な子育て等に起因する諸問題を未然に防いでいくといった狙いもあるそうです。民間レベルでは、そのような活動が芽生えてきてるのですが、行政サイドではその様な現状の打開策が未だに未整備であるそうです。私も出来る限り、お力になれればと思っております。

我が宮崎県は人工中絶率、子供への虐待率は全国でも有数のようです。それらも含めて対策等を講じていかなければならないのではないかと深く考えさせられました。

役人が机の上で考える数字ばかりでは、何も社会は変りません。「少子化対策」と口で軽々しく言うのは簡単ですが、実際現場の声を聞いて対策を講じていかなければ問題の解決は程遠いです。

「教育改革」

2006年09月15日 | 教育
僕は将来を見据えて、この国に今一番必要な物は「教育大改革」だと思う。

それは「教育基本法の改正」や「ゆとり教育」の見直しというものではない。
法律の文章に「愛国心」という言葉を入れたからといって愛国心が生まれるというものでもないし、仮に教育現場で強要したからといって愛国心が育まれるといったものでもない。

「ゆとり教育」の見直しはある意味必要だと思うが、単純に見直したところで根本的な問題は何も変らないのではないか。学力が下がったと言われるが、このまま単に「ゆとり教育」を見直したところで、導入する前にあった問題が再燃されるだけだろう。

幼児教育・初等教育・中等教育・高等教育とあるが、日本の教育は色々あるが幼児教育そして初等教育の一部を除いて、たいていは「詰め込み式教育」を行なっているように自分の経験からも思えてならない。たまにあるグループワークなどは別として、大抵の授業では生徒は「受身」となっている。そこには、生徒の自発的な発言はほとんどない。これは、教師の問題でもなく・生徒の問題でもなく この日本の教育システムが抱えてる大きな欠陥だ。日本の教育システムは「考える力」を養わせる事に重きを置いてないのだ。

戦前の教育は「詰め込み式教育」ではなく、生徒が活発に発言するという教師・生徒が一体となった教育が行なわれていたと耳にします。そのような教育で育った方々が、日本の高度経済成長を支えた方々でもあるわけだ。

「詰め込み式教育」で数値の上では勉強の出来る子供は増えるかもしれない。しかしながら、「賢い」人というのは生まれにくいのではないだろうか。それが、日本人の「決断力・判断力のなさ」につながってるのではないかと思う。結果、あらゆる分野での国際競争力というのが今後は低下するのではないだろうか。

そういう意味で、僕は授業のカリキュラム・指導方法を含めて抜本的な改革が必要なのではないかと考えます。

教育は国の礎であり、人を育てる事は、国を育てる事に通じる。だからこそ、今の日本に必要なのは抜本的な教育大改革だと僕は思います。

「幼稚園特区」

2006年06月29日 | 教育
政府の構造改革特区推進本部の評価委員会は2歳児から幼稚園入園を認める「幼稚園特区」について全国展開を認めることで合意した。

現行の学校教育法では幼稚園に入園できるのは満3歳児からで、2歳以下は保育園しか通えなかった。この幼稚園特区は2歳児の入園も可能で、38の自治体で認められていた。報道によると、保育園待機児童数の減少や保護者の負担軽減につながるということで評価は高く、結果今回の合意にいたったようだ。

僕の嫁さんは3月末まで幼稚園教諭をしていて、その前は保育士もしていた。そして主に年少さんのクラス(満3歳児のクラス)を受け持っていた。車の中で、「幼稚園に2歳で入園できる特区が全国展開される事になったんだけどどう思う?」と問うと、「条件次第」という事が返ってきた。

この条件次第というのは、幼稚園と保育園では子供に対する先生の数が違うらしい。保育園では、特に2歳以下のクラスでは先生が約3名はつくそうで、幼稚園では年少さんのクラスでは生徒30名ぐらいに対して先生は1名。特に2歳児となると自分でトイレに行けない子も多く、先生1名体制だと、先生が子供をトイレに連れて行ってる間に、誰がクラス内で他の子を見るのか?という問題が発生する。さらに言えば、施設内でのトイレ等の位置も2歳以下の子供達に配慮した造りにしなければならないそうだ。

そして、ちゃんと2歳児のクラスを確保する事。幼児は生まれが数ヶ月違うだけで、発達状況というのがかなり違ってくるらしい。それを2歳児・3歳児をまとめて一つのクラスに入れるような事があったら「子供がかわいそう」だそうだ。何かを出来る子と出来ない子というのが月齢差ではっきりとでてくるらしい。(たぶん、2歳児まで拡大すれば年少少のクラスが出来るのだと思うが。)

素人感覚では、幼稚園も保育園も管轄と名称が異なるだけの違いではないのかと思ってたのだが、彼女に言わせると「保育」と「教育」という目的が大いに違うそうだ。幼保一元化の問題も、少子化対策として役所が机の上で考えてるようにしか思えないのだが、幼稚園特区の問題もそれになりかねないのかもしれない。

「好き嫌い」

2006年04月20日 | 教育
昨夜、地元のニュース番組を観ていると学校給食がクローズアップされていました。皆さんの中にも昼休みに入っても給食を食べさせられてた方もいらっしゃると思いますし、食べ物の好き嫌いというのは大抵の人には誰にだってあるのでしょう。

そんな中、僕がテレビを見て驚いたのは、給食中担任の先生が子供達(小学生)の席を周りながら給食を残さず食べるように励ましているのです。僕らが小学生の頃は先生は子供達と一緒に給食を食べ、そして「残すなよ~」程度の言葉をかけたぐらいでした。

特に昔と比べて、今の子は偏食が多いと言われてますが、学校側が子供の食事に関してもそこまで責任を持たないといけない世の中になったのでしょうか?「食べ物を残さずに食べる」という事を教えるのは大事な事です。しかし、子供が食べ物の好き嫌いをなくす為には学校ではなく、家庭での教育が一番の役目だと思います。家庭が自らの責任を放棄して、学校に責任を押し付けるようでは子供の偏食はなかなか止まらないのではないでしょうか?

番組内で、レポーターが保護者にインタビューしてましたが嫌いな食べ物を無理に食べさせようとはしないとの事でした。その方は嫌いな食べ物を小さく刻んだりして食べさせてるようです。そういった風に努力してる家庭も多いでしょうが、何もせずに偏食防止をしない家庭も多いと思います。偏食は健康にも影響してきます。家庭の努力で、子供の偏食をなくす努力が必要なのではないでしょうか?

僕は小さい頃は、トマトが好きではなかったのですが今では好物になってます。なぜだかは分かりません・・・。ブロッコリーやカリフラワーも嫌いだったのですが、海外にでてホームステーしてる時に毎日のように食べさせられたので、今では好物の一つにもなっています。

嫌いな物でも、食べ続けていると自然と食べれるようになるのではないでしょうか?