「この国のかたち。」

2008年04月16日 | 地方
「今後どうなって、いくんですかね?」と宮崎からの来客から尋ねられた。と言っても、今後の政界の展望ではなく、この国のかたち、すなわち地方分権の行方の話です。

私は所属している委員会が総務委員会という事もあり、部会などでの議論は地方行財政や地方分権の議論が大きなウェートを占めている。

地方で育ち、地方で暮らし、そして地方選出の国会議員となり、東京だけが繁栄する一極集中にはアレルギーを感じる事もある。

国民の10%は東京に、33%は1都3県に集中していて、あらゆるモノが東京に集中し、東京を起点としている。一方、地方はシャッター通り商店街が増え、衰退の一途をたどっているのだ。

私の地元も、小学生の頃までは、夏になると夜市が商店街で毎週開催されていたが、今ではシャッター通りになっている。年が増すごとに街に増えるのは、消費者金融とパチンコ店のようなありさまだ。(今では、グレーゾーン金利の問題で消費者金融も撤退している。)

東京一極集中、中央集権の歪みが、ジワリジワリと浮き上がってきている。大抵の地方は同じような状況なのではないだろうか。

黒船来航、開国、明治維新の時代は列強諸国に立ち向かっていく為に、中央集権体制を敷き、一定の成果をあげた。いや、むしろ中央集権体制によって今日の日本の繁栄は築かれたといっても過言ではないだろう。

しかし、昭和13年の国家総動員法により、モノ(人・物・金・情報)が東京に一極集中し、また高度経済成長期の高速道路や新幹線などの交通インフラの整備によってストロー現象などにより人が地方から流出しはじめた。
そして、今日の地域間格差へとつながった。

このままの体制を続けると、20年後には関東平野に人口の50%が集中する事になるといわれている。東京にだけ、何もかも集中し、地方は人もいなく、山や河が荒れ果てるという状態は、私たちの望む「この国のかたち」なのだろうか?

そんな中、「地方分権」や「道州制」議論が続いているわけだが、どのような「国のかたち」になるのかは決まっていない。そこで、冒頭のような「今後どうなって、いくんですかね?」質問がでたのだ。

大抵の方は「地方分権」、「道州制」に好意的なのだが、「同床異夢」のような感じもする。
中央官僚の意図する「地方分権」、「道州制」と地方の求めるそれとは違うであろうし、議員の中でも考えがバラバラだ。

先日、京都視察の夜に総務委員の新人メンバーで集まり、様々な議論をしたが、基礎自治体の規模・数などもバラバラである。ちなみに、衆院の300小選挙区の形が基礎自治体のモデルとなるとも言われているが、個人的には都市部(宮崎でいうと1区)は別として、地方部(宮崎でいうと2区、3区)は、それらを三分割程度にしたらいいのではないかと思う。

また、地方分権を行った際の国と地方のかたちは、二層制(基礎自治体―国)なのか、三層制(基礎自治体―道州制―国)なのかという議論もある。

どういう結果になるか分からないが、今のまま役人主導による「地方分権」、「道州制」へと移行になると、国と地方の主従関係は変わらないかたちになるのではないかと危惧している。単に「県」の上に「道州」が出来ただけでは意味もないし、余計にコストがかかるでしょう・・・。中央集権型での「地方分権」では、地方の再生は成し遂げられません。

私の目指す「この国のかたち」とは、国と地方が対等でなければならないと思うし、地域主権型道州制を導入しなければならないと考えております。

今日は時間がありませんので、また改めて続きを書きます。