イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

超ディープブルー

2009年07月13日 21時17分36秒 | Weblog
昔、ある人から「翻訳という仕事には将来性がない」と言われた。

「翻訳はいずれ機械ですべて行われるようになるでしょ」というのがその人の主張だった。その人も翻訳業界にいたのだけど、営業系で翻訳作業には直接関わっていなかった。だから、翻訳なんてやめといた方が身のためだよ~と言外で僕に忠告してくれていたようなのだ。

その人は別に翻訳をしている人を悪く言うつもりとかはなくて、ただ純粋にそう考えていたということが分かった。とはいえ、かなり断定的に真顔でそう言われたので、結構ギョッとしてしまった。ムッとしてしまった。でも、そこまですがすがしく言い切られると、ハッとする部分もあって、その点ではグーだと思った。

そのとき僕は、心の奥底では「んなこたぁない」とつぶやいたのだけど、将来どんなことが起きるかは誰にもわからない。世界中で、僕なんかよりはるかに頭のよい人たちが日夜、機械翻訳の開発に情熱を注いでいるのだ。現状の機械翻訳の訳文の質の低さを見て、「翻訳マシーンが翻訳業界を支配する世界」という夢物語を一笑に付す人も多いと思うけど、正直、将来は翻訳業界はおろかアンドロイドが人間社会を支配する可能性だってないとは言えないんだから、あんまりテクノロジーを見下してはいけないと思う。

そもそも、すでにコンピューターの方が人間より優れている部分はたくさんある。単純な処理を大量にやらせたら、圧倒的にコンピューターの勝ちだ。チェスだって人間の世界チャンピオンが機械に負けた。マシンの名前が、ディープブルーだっただけに、敗れたチャンピオンはそうとうブルーになったらしい(なんて)。

現在でも、重要度がそれほど高くなく、更新頻度がものすごく多いタイプの文書には実際に機械翻訳が用いられている。マイクロソフトの技術者向けのサポート情報(たとえばKB)なんかがそのよい例だ。読む方も、これは機械翻訳が訳したものだから、文章にめちゃくちゃなところがあるということを始めから意識して読むわけだ。それでも、ちんぷんかんぷんな外国語を読むよりは十分にマシ。何が書いてあるのかをだいたいでいいから知りたいとき、コスト面を考えると機械翻訳はかなりリーズナブルな選択肢になってきているというわけだ。

ただ、実際に僕がいま仕事をしている限りにおいては、機械の脅威はまだ感じていない。そもそも、機械翻訳でいいや、と発注者が思ったのなら、こちらに仕事が回ってこないのだから、脅威も感じようがない。そういえば、「ほんとうにざっくりでいいから意味だけわかればいい」みたいな仕事は、以前社内翻訳者をしていたときには結構需要があったけど今はほとんどこないので、機械で処理していることもあるのかもしれない。

これは翻訳者としては憂うべき問題であるのかもしれない。しかし、世の中の人たちにとっては単に便利になって喜ばしいことなのだ。仕事がなくなるという恐怖は感じつつも、そうなったらなったで仕方ないし、世の中にとってはいいことなんだと素直に思う自分もいる。「お前はそんな無責任でのんきなことを考えていていいのか?」とおしかりを受けそうだけど。

それに、機械で置き換えられる部分は機械に任せておいて、現在は人間が翻訳しないとダメ、という部分だけを翻訳できるのだから、むしろ人間の翻訳者、アナログ翻訳者としては歓迎すべき状況であるとも言える。機械は敵ではなく、時には協力して作業を進める仲間であり、切磋琢磨する同士であると考えることもできる。まだまだ人間の手をかけないとまともなアウトプットができない仕事が残されている翻訳という分野は、幸せなのである。チェスの世界チャンピオンは本当にショックだったと思う。チェスの愛好者もみんなショックだったと思う。翻訳業界だって、ベストセラー翻訳書を機械が誰よりも上手く訳したら、みんなショックでやけ酒を煽り、うちひしがれ、しばらくはお互いに駅前のガード下で焼酎を飲みながら慰め合うような日々が続くと思う。「やってらんね~よ!」ってな感じで。

Google翻訳でドキュメントを丸ごと翻訳できるように」という記事を読んで、そんなことを思わず考えてしまったのでした。これはなかなか、便利ですぞ。でもこれは翻訳者にとってというより、有料の翻訳ソフトベンダーにとってより脅威かもしれん。提供元は天下のGoogleだ。ファイルをアップロードすると、すぐさま全文翻訳。すくなくとも、翻訳速度だけは僕の100万倍速い。名詞の単純な置換という面でも、すでに人間を凌駕している部分もある。Googleが巨大なTMを構築し、その精度を高めていったら、すごいことになるかもしれない。

もちろん僕は生身の翻訳者の可能性を信じているし、そもそも現在の機械翻訳のアルゴリズムでは人間(よい翻訳者)の翻訳を超える訳文を作るのは難しいだろうとも考えている。ただ、将来は何が起こるか分からないということと、人間にしかできない仕事だからって、ふんぞり返って高い料金をもらって当然だとは思いたくないってことを感じる。機械に負けないくらい、うまくはやくやすく翻訳しなければと思うのである。そう、君は僕のライバルなのだ。

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4 コメント

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危惧 (newart)
2009-07-13 23:23:17
 イワシさま。いつも楽しく読ませていただいております。

 ま、機械翻訳云々は別としまして、たいへん危惧していることがあります。私はIT分野の実務翻訳を生業にして二十年ほど経ちますが、最近の売上の減少には目を覆うべきものがあります(そんなの、オマエが下手だからだろう、と言われれればそれまでかもしれませんが……)。

 はっきり言って、二十年前と比べて、単価が落ち、一回あたりの分量も減り、私は翻訳は斜陽産業と確信してますが、いかがでしょうか。出版翻訳の方も、部数が減って青息吐息という声もよく聞きます。

 また、アメリアの求人を見ても、ワード単価10円に満たないものも多数見受けられます。

 私の例ですと、十数年前なら一年間熱心にやれば一千五百万以上は売上がたちました。いまは、その半分。将来性ないと思いますが、いかがでしょうか。それとも、分野によって違うんでしょうかね。お考えを伺えれば幸いです。
ピンチはチャンスと考えたい (iwashi)
2009-07-14 11:51:26
newartさん

コメントありがとうございます!
newartさんは二十年もの経験がおありなのですね。私などまだ専業になって1年目ですので、本当に尊敬します。弟子入りさせていただきたいです(^^)
以前の売上1500万!というのもすごいですね!newartさんの実力がいかに高いかを物語っていると思います。

私のような若輩者の意見はご参考にならないかとは思いますが、私の知る狭い世界の範囲でお話させていただきます。IT分野(特にローカライズ)はたしかに厳しいという話をよく聞きます。私はIT系といってもローカライズの案件はほとんどないのであまり実感はしていないのですが、これからもこの流れは続いていくのかもしれません。合理化はますます進行し、不況で一度下がった単価も、上げることが難しいことも考えられますよね。

私は明るくありませんが、特許や医療などの分野ではこの先需要が先細りになることはあまりないのでしょうね。私はまだ経験も少なく、年度別の売上を比較して分析したりできる立場にありませんので、本当に希望的観測にすぎないのですが、一応個人としては右肩上がりに来ている実感があり、力をつけていけば、なんとかやっていけるのではないだろうか、と思っています。過去のデータがないので楽観的にいられるだけなのかもしれませんが...。

出版翻訳の世界も全体的にはおそらくIT分野以上に落ち込んでいるようです。残念ながらこの流れも変わらないだろうと私も考えております。出版についてはできれば自分でも原書を探して翻訳してみたいと考えておりまして、そうすることで、限られたパイを奪い合うのではなく、パイを大きくすることに貢献できるのではないかという希望をもっています。私は実務もやっていますので、そういう意味では出版専業の方に比べてシビアさは少ない。ですのでそれがぬるま湯になってしまわないように、実務・出版の兼業という利点を活かしていきたいと思っています。

厳しい時代にあっては、求められる技量も高くなる。それをチャンスと受け止め、頑張っていきたいと思います。
ご回答、ありがとうございました。 (newart)
2009-07-15 21:54:42
 突然の、しかも不躾な質問にお答えいただきまして、ありがとうございました。今読み返すと、拙く、しかも失礼極まりないコメントで失礼いたしました。

 でも、イワシさんのお答えでスッキリしました。金額云々は別にして、この翻訳の世界を、もう一度見直して楽しんでいきたいと思います。

 長い間かかわってきたのは、私自身、根底に翻訳が好きだから、というのがあったのでしょう。ありがとうございました。
こちらこそありがとうございました (iwashi)
2009-07-15 22:45:14
newartさま

コメントありがとうございます。失礼なんてとんでもないです。今回のように同業者の方(しかも私などよりも遙かに経験豊富な方)からコメントをいただくと、私としても非常に嬉しい限りです。こちらこそ、なんだかちぐはぐで的外れなことばかり書いてしまいまして、すみませんでした。

お金ももちろん非常に大切ですが、やはり翻訳Loveがなければ、newartさんのように長くこの仕事を続けていくことはできない、そう自分も決意を新たにして、やりがいを感じながらよい翻訳者になることを目指していきたいと思います。newartさまのますますのご活躍をお祈りいたします!

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