イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

無事これ名馬

2009年07月01日 12時08分10秒 | Weblog
先週土曜日、Jリーグ、清水エスパルスの伊東輝悦選手がリーグ史上初となる450試合出場を果たした。デビューが1994年なので、足かけ15年をかけて達成した記録だ。年齢が三十を超えたらかなりのベテラン扱いをされ、年間試合数も三十数試合しかないサッカーの世界においては、とてつもない偉業だと言えるだろう。伊東選手は相当に高度なテクニックも持っているが、性格的にも大人しく、中盤の底で惜しみなく動き回るプレーが特徴のどちらかと言えば地味なタイプのプレイヤーだ。アトランタオリンピックで日本がブラジルを1-0で破った「マイアミの奇跡」と呼ばれる伝説的な試合で、殊勲の1点を挙げた選手としても有名なので、サッカーファンでなくても知っている人は多いかもしれない。決して派手ではないけれど、彼の実力は誰しもが認めるところであり、アトランタ五輪当時の西野監督も、前園や中田などの錚々たる顔ぶれが居並ぶチームを「伊東のチーム」と公言して憚らなかった。また、ディフェンスで大きな役割を果たしながら、カードを貰うことが少ないクリーンなプレーでも有名だ。だから出場停止になる試合が少なく、今回の記録達成にも貢献していると言える。

記録も偉大だけれども、僕が興味を持つのは、彼に限らず出場試合記録の上位に位置する選手がおしなべて名選手であるという点だ。最近はJリーグをあまりフォローしていないので、だんだん選手の顔と名前が一致しなくなってきたのだけど、出場試合記録の上位リストの選手のことは、プレーする姿と共に印象深く思い出すことができる。「無事これ名馬」とは、よく言ったものだ。そういう観点からも、僕は昔から歴代の試合出場記録を眺めるのが好きなのである。現時点でのトップ10はこうなっている(末尾の数字が出場試合数)。

1 伊東 輝悦 清水 450
2 藤田 俊哉 熊本 419
3 山田 暢久 浦和 417
4 楢 正剛 名古屋 400
5 秋田 豊 京都 391
6 服部 年宏 東京V 381
6 小村 徳男 横浜FC 381
6 澤登 正朗 清水 381
9 山口 智 G大阪 380
10 大岩 剛 鹿島 377

ディフェンス系の選手が多いけど、全盛期であればこの顔ぶれで日本代表を構成してもまったく違和感がないほどの実力者ばかりだ。ちなみに僕がもっとも好きな選手である名波浩は、大卒ながら314試合で27位。高校卒業後すぐにプレーしていたら、もっと記録が伸びたに違いない。

名選手だからこそ、試合出場の機会が与えられ、記録も伸びる。だからよい選手がリストの上位に名を連ねているのは考えてみれば当たり前のことなのだけど、そこには単に「サッカーが上手で身体が丈夫」であること以上の何かがあると思えてならない。ややもすると、「出場試合数が多い→人並み外れて身体が丈夫だったのね」で終わってしまいそうな話でもあるのだけど、決してそうではないとあえて断言したい。

いくらよい選手であっても、何年にもわたって試合に出続けることは難しい。調子の波もあるし、怪我もある。監督やチームメイトと上手く折り合わなくて、実力があっても試合に出られないこともある。前の年にゴールを量産しても、次の年にはまったくネットを揺らすことができなくなることもある。ものすごく上手い外国人選手が突然入団してくることもあるし、ユースから伸び盛りの十代のホープが入ってきてポジションを脅かされることだってある。試合に出られなくなる要因は実に様々だし、どれだけ本人が努力をしていても、いかんともしがたいことがある。プロの選手はものすごく熾烈な競争社会のなかにいる。先発またはベンチ入りメンバーから外された選手を責めることは簡単だけど、それは外野だから言えることなのだ。

ではなぜ彼らが長期間にわたって第一線で活躍できたのか? その要因は身体の強さよりもむしろ人間としての賢さだったのではないかと思う。常にベストコンディションを維持するための自己管理能力、監督の意図をつかみ取り周囲を上手く活かしながらその期待に応えていくためのコミュニケーション力、絶えずスキルアップを目指し、変わり続ける戦術に自らを適応させていくための柔軟性、そうした資質を持ち、それを実践してきたからこそ、常にフレッシュな存在でありつづけることができたに違いない。逆に考えれば、いくら才能に恵まれ素晴らしいプレーができる選手であっても、それを何年にもわたって維持していくことにはまた別の才能が必要になるのだ。

サッカーに限らず、どんな職業にも「無事これ名馬」は当てはまる。実務翻訳者でも出版翻訳者でも、経験年数が長く、その間一定量の仕事を大きな浮き沈みなくこなしてきた人は、翻訳のスキルも高く仕事人としても信頼ができる人であると言ってほぼ間違いないと思う。例外もあるだろうが、少なくともその人が置かれている環境のなかでは、大きな問題を起こすことなく仕事を続けてこれるだけの力量があったということなのだ。

ただし、必ずしも経験がある人が、経験のない人よりも優れているというわけではない。もしそうだとしたら、レッズの山田選手が18才で代表に選ばれるはずがない。翻訳の世界でも、経験年数が少なくても、ベテランをしのぐ仕事をしている人は少なからずいるだろう。だが、本当に優れた仕事をしている人は、その仕事のスタイルのなかに、将来的に出場試合記録の上位に顔を出す可能性を感じさせる、「賢さ」を備えているのではないだろうか。

ちなみに、京都の河原町三条で伊東選手を見かけたことがある。清水の試合が西京極で行われた日だった。背は僕よりも低いくらいだけど、とてもがっちりとした身体をしていて驚いた。きっと岩のように固い筋肉をしているんだろう。結局のところ、頑丈さも長く仕事を続けるための大きな要因であることには違いないのだ。

伊東選手に心からの祝福を送ると共に、自分も記録達成を目指して頑張りたいと思う。数年後はおろか、数日先すら見えないトンネルから抜け出せずにいるのではあるが。