僕が住んでいる団地の通り向かいには畑があり、農家の方が畑の前にある野菜スタンドで採れたての野菜を販売してくれている。
そこで買う野菜はすべて美味しいのだが、個人的には夏場に買う枝豆が一番好きだ。かなりのボリュームがある新鮮な枝豆が、たったの350円。スーパーで買ったら半分の量でもこれより高かったりする。茹でて食べると最高に美味しい。
毎年首を長くしてその野菜スタンドで枝豆が売られるのを待っているのだけど、枝豆を売っている期間というのは意外にもとても短い。おそらくは2~3週間しかない。すぐ近所と行っても、わずかながら僕の行動ルートからはそれた位置にある。だから、そんなにしょっちゅう野菜スタンドに行く訳じゃないので、ついついチャンスを逃してしまうのだ。気がついたときには枝豆が売られており、気がついたときにはその年の枝豆販売は終了している。
二、三日前、そこで枝豆を買った。「今年はあとどれくらい枝豆を売っているのですか?」とおばさんに聞いてみた。彼女は「もう明日くらいで終わりだよ。あとこれだけだから」と言って畑を指さした。数日前には畑一面を覆っていた枝豆はすでにほとんどが刈り取られ、今はもう2002年ワールドカップのときのロナウドの前髪くらいの量しか残っていない。えっ? そんなに早いのか…。そしてこのわずかばかりのロナウドの前髪が刈り取られ、スキンヘッドのロベルト・カルロスになってしまったら、この夏の枝豆は終わりなのか…。そう思うと、なんだか妙に切なくなってしまった。今年は3回しか枝豆を買えなかった。不覚。
「小さい夏、小さい夏、小さい夏、終わった」そんな唄が遠くの方から聞こえてくる。ああ、夏の本格的到来を実感する前に、主役級のひとり、枝豆君が逝ってしまうなんて。
「それにしても」と僕は言った。「梅雨が明けたというのに曇ってばかりですよね」。今年の天気が例年に比べてどうなのか。そういうことは農家の方に訊くのが一番だ。おばさんはうなずいた。「そうなの。戻り梅雨って言ってね」。やっぱり、今年の天気はおかしいのだ。
「戻り梅雨」そんな言葉、知らなかった。でも事実上、梅雨は戻ってきていたらしい。忘れ物でも取りに来たみたいに。梅雨明けの二、三日はすごくいい天気が続いた。ちょうどそのとき、僕は仕事に追われていて、ほとんど外に出られなかった。死にそうになって納品を終え、ようやく山を越えたときには、また雨と曇りの日々に戻っていた。たまに走ると雨にたたられる。
ちなみに、数日前、ずぶ濡れになって走りながら、原始、雨は人の衛生管理上、欠かせないモノだったに違いないという確信を得た。現代では、服が濡れるから雨は嫌われる。だけど、濡れるモノがなければ雨はとても気持ちのよいものなのだ。昔はシャワーがなかったから、身体の汚れを落とすために、雨が大きな役割を果たしていたに違いない。川で水浴びできないエリアに住んでいた人だっていたと思うし。
天気予報を見ると、今月末まで曇りと雨のマークが続いている。気分が萎える。最近、眠れなくて朝方まで起きている。今日はそのまま5時ころから2時間くらい公園をジョギングした。朝だというのにたくさんの人がウォーキングやジョギングを楽しんでいる。みんな、元気なもんだ。久しぶりにたっぷり走り、家に帰って仕事を続けた。10時頃になると、なんだか妙に天気がいい。晴れである。ヲイヲイ天気予報さん、今日は曇りじゃなかったの? 晴れとわかっていたら昼間に走ったのに! 嘘つき。
でもまあ、気持ちよく晴れた青空を見ていたら、さすがに梅雨も忘れ物を片手に、しかるべき場所に小走りで戻っていこうとしているのではないかという気がした。しばらく前から、釈然としない天気を横目に、困惑気味のセミが鳴き続けている。夏はたしかに近づいているのだ。きっとそれは、枝前の旬と同じくらい短いものなのだろうけど。