イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

専門書の効用

2009年07月27日 23時40分58秒 | 翻訳について
翻訳関連のものの本によく書いてあることではあるのだけど、翻訳対象の文書のテーマを扱った専門書を読むことで、仕事がものすごくはかどることを実感している。あまりにも小さな案件だと本を購入している暇もないし収支的にもわりに合わないことになってしまうから、毎回というわけにはいかないが、たとえば1万ワードを超える大きめの案件で、内容がかなり専門的な場合は、できるだけ専門書を買うことにしたい――と、ここ数ヶ月の経験から強く思うようになった。

専門書は決して安くはない。それでも買う価値は十分にある。もちろん、本の内容が訳している原稿のテーマとうまく重なっていなければせっかく大枚をはたいてもスカしてしまうことになるわけだけど、これまでの数少ない僕の経験からいうと、何がテーマであれニッチな分野の専門書というのは決定版と思わしきものが1,2冊あるものだ。Amazon等でちょっとリサーチすれば、すぐにこれだ、という1冊が目につくし、内容的にもまず外すことはない。テーマが絞り込まれているから専門書の数も少なく、その道の第一人者が書いた1冊があれば当面の間は需要も満たされるということなのだと思う。もちろんインターネットでも調べ物はする。だけど、テーマにもよるがネットで収集できる情報には限界がある。かなり専門的なテーマの場合、専門書ほど深く細かくまとまった情報は、ネットでは見つけられないことが多い。

たとえばISOには様々な規格があり、そのうちの1つについて書かれた本はごくわずかしかない。だかそれはその規格についての文書を翻訳している者にとっては、宝の山のような情報が詰まっている。当該規格を全体的に理解できるのはもちろん、専門用語についても定訳を見つけられることが多い。翻訳対象の文書は、文書の性質やボリュームの制約などによって、専門書ほど細かい情報は記載されていないのが一般的だ。だから概念や用語についての記述も簡潔なものが多いし、文書自体がある程度の基礎知識を持った人が対象読者であることを前提に書かれていることもあるので、その文書だけを読んでいては理解できないことが多いのだ。もちろん翻訳者には専門の領域があり、その領域の知識を常日頃から高める努力は不可欠である。だけど、実際にいただく仕事は分野は同じでもまさに千差万別。そのすべての専門知識を持つことは不可能なのだ。

原文を読んでも意味がよくつかめなかった部分も、「?」で頭をいっぱいにして専門書をひもとくと、一気にいろんな謎が解けて理解が深まっていく。これはかなりの快感だ。出口の見えないトンネルの彼方に一筋の光明を見いだしたような安堵感もある。世の中にはいろんなことを専門にしている人がいるものだ、と世界の広さを実感できたりもする。そして、いかに自分がものを知らないかということも。そもそも、この仕事をしていなければ絶対に手に取らないであろうと思われる書物と出会えることは、喜ばしいことだ。専門分野との出会いは一期一会の精神で大切にするべきなのだ。

用語にしても、単に定訳が見つかって嬉しい、というだけではなくて、その業界や分野の文化によって、外来語がいかに手慣れた業界用語に落とし込まれているかということがわかって面白い。ただ外国語を母語に変換するのではなく、無駄な要素をカットしたり、補ったり、大胆かついい意味で「都合良く」日本の文化に馴染む言葉に置き換えられたりしている。そのダイナミックなプロセスを体験できるのが興味深いのである(逆にこんなに生硬な訳語でいいのか? というパターンもあるけど)。ともかく、翻訳者としてはとても勉強になる。逆に言えば、こうした定訳は知っているかいないかの問題であって、自分の力だけではどうしようもないものなのであり、そしてそれを外してしまえば、読者であり専門家である依頼元の信頼を一気に失ってしまうことになってしまう。だからこそ専門書でそれらを補えるのであればそうするべきなのだ。たとえそれが付け焼き刃であっても、刃があるのとないのとでは大違いといわけだ。

10万円の案件で、専門書の価格が5千円だったとする。売上の5%の出費はたしかに大きい。だけど、1冊の専門書によっって、生産性とクオリティーを5%以上、上げることは十分に可能だと思う。10日かかる仕事を7日で終わらせることができるかもしれない。訳文の質も高まるし、依頼者に「そこそこわかってるな」と思ってもらえる可能性も高まる。たっぷり元は取れるのではないだろうか。プラス、1冊の専門書を読み、数日間そのテーマと関わり続けることによって、自分の専門性もわずかだが広がる。今後、同じテーマで仕事がくる可能性だってある(いい仕事をすればリピートしてもらえる可能性だって高まる)。そのときに、その知識は決して無駄にならないのである。