順天堂大学天野篤教授が週間新潮に連載しているコラム『「佳く生きる」ための処方箋』の最新版は、『名医は占い師』という題名でした。
「名医」とは、『よく当たる占い師』のようなものです。患者さんの将来を当てて、寿命を予見するとともに、患者さんを元気にして当てる、としています。
外科医は、病巣を取り除く方法あるいは臓器自体の機能を改善する方法を駆使して、患者さんの生活の質や寿命まで佳くすることができます。
問診では、患者さんの言葉や様子などから本人の気づかないような症状を探し当てたりして、隠れている症状を明らかにしたりします。「そういえば・・・」を聞き出すポイントが接遇で、医師に心を開いて何でも話せるという雰囲気作りをする努力を医師自ら行います。
新しい情報を聞き出したら、次ぎは検査数値などからもう少し踏み込んだ質問をします。
コミュニケーション能力に加え、専門分野の深い知識と経験、さらに類い稀な探求心を持ち合わせていることが絶対条件です。
情報探索と科学する心がなければ、目の前の人を幸せにできないのです。
なかなか奥の深い言葉が続いています。「占い師」とは、確かに耳障りの良いことしか言わないですね。
名医の予測は良く当たり、さらに処置結果も良好で、患者さんを幸せにする義務を果たす必要があります。心臓外科の「名医」による、「名医」の定義です。
「名医」とは、『よく当たる占い師』のようなものです。患者さんの将来を当てて、寿命を予見するとともに、患者さんを元気にして当てる、としています。
外科医は、病巣を取り除く方法あるいは臓器自体の機能を改善する方法を駆使して、患者さんの生活の質や寿命まで佳くすることができます。
問診では、患者さんの言葉や様子などから本人の気づかないような症状を探し当てたりして、隠れている症状を明らかにしたりします。「そういえば・・・」を聞き出すポイントが接遇で、医師に心を開いて何でも話せるという雰囲気作りをする努力を医師自ら行います。
新しい情報を聞き出したら、次ぎは検査数値などからもう少し踏み込んだ質問をします。
コミュニケーション能力に加え、専門分野の深い知識と経験、さらに類い稀な探求心を持ち合わせていることが絶対条件です。
情報探索と科学する心がなければ、目の前の人を幸せにできないのです。
なかなか奥の深い言葉が続いています。「占い師」とは、確かに耳障りの良いことしか言わないですね。
名医の予測は良く当たり、さらに処置結果も良好で、患者さんを幸せにする義務を果たす必要があります。心臓外科の「名医」による、「名医」の定義です。
2016年4月14日、16日に熊本地震が発生し、痛ましい惨事を見ました。日本全国至る所に断層あり、同様の地震がどこで何時発生してもおかしくないのです。南海トラフ地震の発生が危ぶまれています。
雑誌「致知」の2016月7月号に鈴木秀子聖心女子大学元教授のコラム「人生を照らす言葉」を読み、感銘の思いを抱きました。次ぎの天災に関係した部分です。
<嫌な出来事が起きても怒りや恐れの感情を露わにすることをせず、意識して良いことを見つける訓練をするのです。・・・天災で厳しい現実をもたらしますが、一面で何でもない平凡な生活がどれだけ奇跡的で、有り難いものかを改めて私達に気づかせてきれるからです。>
<今回の九州の大震災でも、被災された人たちは皆さん一様に『命があるだけでも有り難いことです』と語られました。>
<例え質素であっても、一つひとつの恵に感謝し、味わいながら楽しんでいく生き方こそ、本当の贅沢を感じ取れる感性です。その根底にあるのは生かされていることへの深い自覚と感謝です。>
発想の転換です。普段のありふれた日常の光景や出来事に感謝して、「一日の王」たる気分を抱くことの大切さを述べています。この「一日の王」とは、どんな辛いことや悲しいことがあっても、悲嘆したり失望することなく、前向きに生きる気分を表現しています。
現状は不幸な状況であっても、<有り難い>と思い逞しく生き、将来が明るいと信じるということでしょう。
できるようで、できることではありませんが。
雑誌「致知」の2016月7月号に鈴木秀子聖心女子大学元教授のコラム「人生を照らす言葉」を読み、感銘の思いを抱きました。次ぎの天災に関係した部分です。
<嫌な出来事が起きても怒りや恐れの感情を露わにすることをせず、意識して良いことを見つける訓練をするのです。・・・天災で厳しい現実をもたらしますが、一面で何でもない平凡な生活がどれだけ奇跡的で、有り難いものかを改めて私達に気づかせてきれるからです。>
<今回の九州の大震災でも、被災された人たちは皆さん一様に『命があるだけでも有り難いことです』と語られました。>
<例え質素であっても、一つひとつの恵に感謝し、味わいながら楽しんでいく生き方こそ、本当の贅沢を感じ取れる感性です。その根底にあるのは生かされていることへの深い自覚と感謝です。>
発想の転換です。普段のありふれた日常の光景や出来事に感謝して、「一日の王」たる気分を抱くことの大切さを述べています。この「一日の王」とは、どんな辛いことや悲しいことがあっても、悲嘆したり失望することなく、前向きに生きる気分を表現しています。
現状は不幸な状況であっても、<有り難い>と思い逞しく生き、将来が明るいと信じるということでしょう。
できるようで、できることではありませんが。