「隠騭録」(いんしつろく)とは、明の時代の袁了凡が書いた本です。日本では、室町時代末期から徳川秀忠の時期にあたります。袁了凡の書いた漢文を、安岡正篤氏の講義した内容をまとめた本です。
稲盛和夫氏の本「成功の要諦」の中に、『「隠騭録」を読む』が引用されていたことが切っ掛けで、この本を読みました。
運命とは常に変化する。運命を、自らの自発的修行によって、我より立つる、立命にするという内容です。命を造るのは天であるが、その造られた命を立てて実現していくものは人間である我である。また、天命は自ら作り、福は自分から求め得る、としています。
自発的修行とは、謙虚・積善・改過という道徳的精進です。この内容を詳細に実例を挙げています。改過とは、恥を知る心、畏れる心、勇猛な心を備えれば、過を改めるという内容です。
<積善の家、余慶あり。積悪の家、余殃あり。>善を積んだ家では必ずその余慶が後々まで及んで、子孫が栄える。私を叱る際に、父が教えてくれたことを思い出します。
人類は科学技術の進歩を享受して、我々も製品の進歩を確実に実感できます。しかし、明の時代の本がいまだに魅力があるとは、人類は道徳に関しては然したる進歩がないと言うことでしょうか。古典は、やはり輝き続けているというのが、私の感想です。
稲盛和夫氏の本「成功の要諦」の中に、『「隠騭録」を読む』が引用されていたことが切っ掛けで、この本を読みました。
運命とは常に変化する。運命を、自らの自発的修行によって、我より立つる、立命にするという内容です。命を造るのは天であるが、その造られた命を立てて実現していくものは人間である我である。また、天命は自ら作り、福は自分から求め得る、としています。
自発的修行とは、謙虚・積善・改過という道徳的精進です。この内容を詳細に実例を挙げています。改過とは、恥を知る心、畏れる心、勇猛な心を備えれば、過を改めるという内容です。
<積善の家、余慶あり。積悪の家、余殃あり。>善を積んだ家では必ずその余慶が後々まで及んで、子孫が栄える。私を叱る際に、父が教えてくれたことを思い出します。
人類は科学技術の進歩を享受して、我々も製品の進歩を確実に実感できます。しかし、明の時代の本がいまだに魅力があるとは、人類は道徳に関しては然したる進歩がないと言うことでしょうか。古典は、やはり輝き続けているというのが、私の感想です。