巨大な杉と、たくさんの墓碑や灯籠が並ぶ高野山「奥の院」の参道。肥前島原藩の松平家の墓所=和歌山県高野町
巨大な杉と、たくさんの墓碑や灯籠が並ぶ高野山「奥の院」の参道。肥前島原藩の松平家の墓所=和歌山県高野町
「冷気清明」とは、このことだろう。真言宗総本山である高野山-金剛峯寺(和歌山県高野町)を訪ねると、山門でこんな気持ちになるほど冷たい空気が澄みわたっていた。弘法大師の名で親しまれる空海によって弘仁7年(816年)に建立された霊峰は、再来年には開創1200年を迎える。また、来年は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されてから10年となる。天空の幻影のような門前町、東京スカイツリーとの意外な関係、外国人観光客の姿から師走の高野山が感じられた。
空に架けた幻影
空海の御廟がある奥の院参道に入る一の橋から数十メートルの所に司馬遼太郎氏の文学碑がある。
そこには「山上は、ふしぎなほどに平坦(へいたん)である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍(がらん)、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀をつらねている。(中略)大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか」(『歴史の舞台 文明のさまざま「高野山管見」』より)が刻されている。
司馬氏の「唯一ともいえる異域」との表現は実際に訪ねてみると、まさに絶妙だ。海抜約1000メートル、幅1キロ、奥行き5キロの山腹の街が、曲がりくねった山道を車で登り詰めるといつのまにやら出現し、山の上であることを意識させないような不思議な場なのだ。
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