タケシのブログ

日常のいろんな事を書いていきたいと思います。

澄田知事ご苦労様

2006-11-27 18:43:17 | Weblog
島根知事である澄田さん5期目、20年を島根県民の為に立派に県内をまんべんなく陰ひなたなく知事としての指導力を発揮してくれました。島根は出雲、石見と長い地形でどうしても、石見が人口も少なくて何かにつけて冷遇されがちであるが、公平な政治をしてくれたと思います。今頃、他県の知事は知事の権力で悪い事をしているが、澄田さんは身辺がきれいで、誠実な方である。澄田知事お疲れ様でした。
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少しずつ冬のおとずれが来る

2006-11-20 00:33:04 | Weblog
2,3日前から国道にある温度計が深夜は1度をさしている。1年はアットいう間
過ぎてくる。今年の冬は雪はどのように降るのか、分からないのである。昨年の例では、気象庁のいうことが全くあてにならないのである。地球温暖化は進む傾向はあるが、異常気象が多くて、雨が降らない日が何日も続く時もあるし、大水や台風が続けて襲って来る時もあるので、冬でも大雪が降る可能性がある。1年の短い期間に四季がある日本もこのお陰で、人間が生きていく為に必要な品物が四季の移り代わりによって対応するので誰もが潤いをもたらすので生きて行かれる面もあるのである。
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「泣きながら生きて」パート3

2006-11-08 18:10:29 | Weblog
この日ために地図を見て東京見物の行程表を夫は作っている、妻とする東京見物、浅草雷門、お台場、タワー、等、妻のうれしそうな笑顔が印象に残る。3日間の東京の再会もあっというまである。妻は成田からアメリカ衣行きの飛行機に乗る。娘と同じように成田の一つ前の駅で妻との別れ、二人は涙がとまらない。妻はニューヨークの空港へ予定のとおり、娘の待つところへ着いた娘さんもきれいに成長していた。産婦人科の医師として将来を嘱望されている。夫も15年の歳月をえて借金も返済し、自分の役割は終わりに近づき日本を離れる決心する。最後に北海道の阿寒町飛鳥日本学校跡地へ出向く、荒れ果てた校舎に向かい校舎感謝の言葉をかける。本当に忍耐強い人である。今の日本にこんな人はいるのでしょうか。長年取材したフジテレビの諸君に感謝してペンを置きます。
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「泣きながら生きて」パート2

2006-11-08 17:50:01 | Weblog
本国では妻は縫製工場で働き地味なくらしを続けている。月日型地、娘もアメリカで医師の勉強してあと一歩のところまで成長している。母も娘、夫に会いたいと思い、役所に渡航申請をおこなうが、なかなか許可が下りない、10回目でやつと下りた、親戚、知人も喜んでくれて服の新調にも協力してくれた。日本経由のアメリカいきの飛行機で旅発ち、3日間の東京滞在がゆるされる便である。13年振りの夫婦の再会である。眼と眼で互いの絆で結ばれてじつて耐えたいたことが一輝に芽ばえて心打たれててくる。夫の安アパートに向かい、目的をもって生きて来た、夫に感謝、金がかからない殺風景部屋に、結婚当時妻が作った刺繍入りの赤の枕カバー、二つ新婚当時妻が作り、日本に行くとき持ってきたものである。ベットにセットされている。それを見て妻が感動、感激、夫婦愛、夫はよく妻が此処まで、私に付いてきてくれたと感謝、妻は夫の顔みて歯が傷み、夫が私と娘の為にこんなに苦労して仕送りしてくれたのかと、涙がとまらない。
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「泣きながら生きて」

2006-11-07 14:54:33 | Weblog
フジテレビ系列4日の晩放映。物語の主人公は35歳のとき日本に人生の希望と夢を求めて来日、当時の中国は文化大革命で動乱の時期をむかえいた、多額の借金をして日本へ行き学び知識をつけて帰りたい一心で北海道の阿寒町の日本学校に来てみると理想と現実は大きくかけ離れていてこのままでは借金の返済も出来ない。雇用のある東京へこれから苦闘が始まる。さまざまな仕事をして、給料は全部本国の妻の元に送金する。自分達の1人娘を医師にする為である。娘も期待に応えてアメリカの大学の入学、本国では妻、娘、もお父さんが日本で浮気でもしているのか、思うこともあつた、長く帰国しないので、木造の風呂もない安アパートで娘の事を思って沢山の仕事をしている。娘がアメリカの大学へ行く途中日本へ立ち寄り、父の生活振りを見て絶句する、私の為に父がこんなに頑張つているのかと、父は滞在許可がないので成田にはいけない、娘がアメリカへ父の為にに立派に勉強して立派医師にならなければと強く思う。
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