タケシのブログ

日常のいろんな事を書いていきたいと思います。

歌手三宅広一さんの思い出

2014-02-17 01:07:38 | Weblog
今日偶然に三宅広一さんが唄った、「逢いにきましたお父さん」という歌を聞きました。
この歌を聞いたのが昭和34年3月に柳井商工高等学校を卒業して、美祢市の大嶺、豊田前の宇部興産山陽無煙会社に
就職して34年の夏頃に会社の慰安会で、村田英雄、三宅広一の歌手が来場。当時の三宅少年は15歳でした。
(今彼の年齢を調べると、1944年2月生まれ)中学の1年位の少年でした。可愛い少年で当時は特別な衣装でもなくて、
村田英雄さんも浪曲師から歌手に変わられて間もない頃でそれほど人気も無い頃で、三宅少年が可愛くて注目を浴びて、
唄も上手いので、受けていました。「鐘つき小憎」鐘をついたら泣けて来た、山の日暮れのさみしさに、俺はみなし児鐘つき
小憎聞いているだろ母ちゃんも、なんまいだァ 赤い入り陽の、 赤い入り陽の、あの空で。
 男子の美空ひばり張りの人気で当時天才少年歌手と騒がれました。
 その後どのようにされたのか分からなかったのですが、現在は岡山県倉敷市にてカラオケの講師をして歌手を育てられています。 
 
 逢いにきましたお父さん
作詩 野村俊夫  作曲 船村 徹
昭和33年 
1 母さん作った 日の丸べんとう
  一人たべたべ 汽車の旅
  夢でみていた 東京の町を
  地図をたよりに 九段まで
  逢いに来ました お父さん


2 泣き泣き拝んだ 靖国神社
  合わす両手に 桜散る
  待っていたよの たゞ一言を
  聞いてみたさに はるばると
  逢いに来ました お父さん


3 お別れした時ゃ 乳呑児だった
  丁度あれから 十五年
  つらい淋しい 片親そだち
  故郷(くに)のはなしを お土産に
  逢いにきました お父さん
この歌は涙なしでは聞かれない素晴らしい唄です。私と3歳違いの三宅広一さんの歌は涙なしでは聞かれません。

                          
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月16日日曜日 | トップ | 2月17日月曜日 »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ウルルン (maro7)
2019-05-14 21:32:47
ラジオから流れる六十路半ばで、初めて聞く歌
仕事の手を止めて聞きほれました
昼の曲の題名を記録していましたので晩酌しながら、ネット検索…涙、涙で何回も聞きます
こんなにいい歌があったとは、今日に生きた財産です
そして、三宅広一さんの思い出を有難うございます
震災復興途中の宮城から
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事