“健さん”と呼ばれ、日本映画界の中心スターとして活躍した俳優の高倉健(たかくら・けん、本名・小田剛一=おだ・ごういち)さんが
10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため、東京都内の病院で死去した。83歳だった。福岡県出身。近親者で密葬を済ませた。
炭鉱職員の父、元教員の母との間に生まれる。明治大商学部卒。昭和30年、東映に第2期ニューフェースとして入り、
翌年、「電光空手打ち」で主演デビュー。現代劇で地方出身の熱血青年という役柄を多数演じた。
38年、東映任侠(にんきょう)路線の出発点となる「人生劇場・飛車角」で鶴田浩二と共演、耐えに耐えた末、
最後は自ら死地に赴くやくざ役でストイックなイメージを確立した。翌年の「日本侠客伝」以降、「網走番外地」
「昭和残侠伝」の各シリーズに並行して主演。♪義理と人情を秤(はかり)にかけりゃ…(「昭和残侠伝」)
など自ら歌った主題歌もヒットし、東映のドル箱スターとなった。当時の全共闘世代が熱く支持するヒーロー像でもあった。
52年は「八甲田山」と「幸福の黄色いハンカチ」で第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。
平成18年に文化功労者に選ばれ、昨年、文化勲章を受章した。
10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため、東京都内の病院で死去した。83歳だった。福岡県出身。近親者で密葬を済ませた。
炭鉱職員の父、元教員の母との間に生まれる。明治大商学部卒。昭和30年、東映に第2期ニューフェースとして入り、
翌年、「電光空手打ち」で主演デビュー。現代劇で地方出身の熱血青年という役柄を多数演じた。
38年、東映任侠(にんきょう)路線の出発点となる「人生劇場・飛車角」で鶴田浩二と共演、耐えに耐えた末、
最後は自ら死地に赴くやくざ役でストイックなイメージを確立した。翌年の「日本侠客伝」以降、「網走番外地」
「昭和残侠伝」の各シリーズに並行して主演。♪義理と人情を秤(はかり)にかけりゃ…(「昭和残侠伝」)
など自ら歌った主題歌もヒットし、東映のドル箱スターとなった。当時の全共闘世代が熱く支持するヒーロー像でもあった。
52年は「八甲田山」と「幸福の黄色いハンカチ」で第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。
平成18年に文化功労者に選ばれ、昨年、文化勲章を受章した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます